福岡・平和台球場(平成13年11月2週)
 福岡市内のホテルに泊まる。夏から毎月来ているから、5ヶ月目である。夏に来たとき街路樹のある市街地はセミの鳴き声がすごかった。ホテルから福岡城址が近い。そこに平和台球場の後がある。外野席であろうか。取り壊しの途中で残っている。遺跡が出たということで、途中でストップしたのであろうか。
 平和台球場は三原監督と奇蹟の日本シリーズ逆転劇を連想させる。三原監督は、昭和25年、水原巨人監督就任とともに巨人を追われ、福岡に行き稲尾、中西、豊田らの西鉄ライオンズを育てる。そして、昭和31年、32年と日本シリーズを2連覇する。33年の日本シリーズは、史上初の3連覇がかかっていた。この年、西鉄ライオンズは7月首位南海ホークスと11ゲーム差であった。苦しい戦いをするが、追い上げて10月2日優勝が決まり、平和台球場で三原監督の胴上げとなる。かくして日本シリーズは、また、水原監督率いる新人長嶋のいる巨人との対決となる。巨人はなんとしても日本シリーズの連敗から脱したかった。
 10月11日、後楽園球場で第1戦スタート。巨人は後楽園で2連勝。そして3戦目は平和台球場に移動する。14日の第3戦は平和台球場で行われたが、また巨人が勝つ。もう西鉄には後がなくなった。
 翌15日、前日夜半より福岡は雨となる。試合は中止。これが天の恵みの雨だったのか。
 16日、満員の平和台球場で西鉄ははじめて勝つ。翌日の第5戦は9回裏まで西鉄は負けていた。それが9回裏で同点に追いつく。たしか、関口選手の同点打だと記憶している。当時は白黒テレビであるので、この同点打のシーンが未だに白黒で脳裏にある。これから流れが一挙に西鉄に移る。延長10回に稲尾のホームランで勝つ。この後、後楽園球場にもどるが西鉄が連勝する。まさに奇蹟の4連勝で、日本シリーズ3連覇を達成したのである。これはアメリカにもない奇蹟であるという。
 平和台球場の後を見ると、この奇蹟の逆転劇を思い出す。当時の西鉄ライオンズは野武士集団と言われ、管理野球ではなかった。まさに、「強者『つわもの』どもの夢のあと」である。