| 妙高山・石田教授 |
| 大学4年生の11月の始め、4人の同級生と卒業記念に妙高山に登ることになった。その計画を電子工学の石田教授が聞きつけて是非同行したいと言う。石田教授は、4人のうちのA君がいる研究室の教授であった。私の研究室の教授でなかったので、私は授業で知る程度で個人的なお付き合いはなかった。石田教授は足腰には自信がないが、迷惑にならないようにするから連れて行けとなった。 |
| 私は、浅間山遭難以後、多くの山登りをしたが、非常に計画的になっていたので、教授の同行はちょっと不安であったが、もし、何かあったら何とか対応しようということでOKした。こうして、登山の時期としては遅いが、11月の始めに石田教授を交えて5人の登山が決行された。 |
| 朝、早い汽車で、長野駅から柏原駅に行き、一挙に山頂を目指した。途中、朝食となり、石田教授が同行を許可した礼だと言って奥さんの手料理を皆に配った。ところが次第に天候が悪化し、雪が降り出した。頂上についたときはかなりの雪となった。遭難しそうな状態となった。私は自然に、リーダー役となり、バテないように適宜休憩を取ったり、励ましたり、移動方向を確認したり、冷静、的確に行動したようであった。こうして、無事に登頂を果たして下山した。 |
| 石田教授と個人的に付き合いがあったのは、大学4年間のこの1日だけであった。ところが、この日以来、石田教授は「卒業したら、お前の結婚式には絶対招待しろ。」となった。よほど、このときの私のリーダーシップが気に入ったようであった。私は自然に活動しただけなので何か特別なことをした記憶にはなかった。 |
| 数年後、私は横浜で結婚式をあげた。石田教授は、長野からわざわざ、出席してくれた。そして、来賓として挨拶されたが、妙高山の思い出の話をして、結婚式の通例ではあるが新郎である私をべた褒めした。石田教授はその後、50才台で急逝された。私を知る人を早く失い残念であった。石田教授は東北大の出身なので、今は郷里の東北地方に眠っている。 |
| 妙高山は、長野県と新潟県の間にあり、深田久弥の日本百名山にある。その山形は広い裾野を持ち、雄大である。冬はその裾野が広大なスキー場となる。 |