| ・S工場長 |
| 1990年頃、関東平野にある大手工場の改善指導の仕事がきまった。最初の夜、工場幹 部との顔合わせということで、十数人の幹部と夕食会となった。終わりに近づいた 頃、幹事の総務部長が「あの、ご迷惑でしょうが、2次会でカラオケをやるので、今のうちに曲を予約しておきたい。曲名を適当に言ってください。」とメモを持ってきた。 総務部長は、私の風貌からして、私がカラオケなどは馬鹿にしてやらないだろうと思っていたようである。私が「それでは、遠慮なく」とすらすら10曲ほど言ったら、唖然としてメモをとった。 |
| その2次会で、工場長がカラオケの名人であることを知った。特に北島三郎の難しい曲をうまく歌った。私と競演となってしまった。 |
| この工場がISOをとるとき、書類審査の前夜、工場長は私とカラオケに行き、酒の強い工場長は、明日の審査で緊張したのか飲みすぎて、翌日、工場長は二日酔いとなってしまった。このため、審査の場で無口になってしまったことだ。しかし、スタッフが無難に対応したので、審査員には「無口な工場長だ。」という印象だけで、むしろ問題はなかった。 |
| ・S社長 |
| 私が1986年にコンサルタントとして独立したとき、初仕事として中堅規模のS社の社長と5年契約をした。当時、その社長は58才くらいであった。30才台の息子さんが1人いて、後継者になる準備を兼ね、私とともに改善を推進することになった。ところが、2年半くらいで社長はガンで急逝した。私は息子さんがすぐに後継者となるのはまだ早く、社長にならず、中間で別な年配者に中継ぎを依頼するように勧めた。しかし、息子さんは、プライドがあったのか、私の勧めに関心があまりなく、簡単に後継者となった。私は契約上、コンサルティングを継続した。社長交替後、3ヶ月くらいは問題なかった。しかし、その後は次第に経営的に問題が出てきたように感じた。 |
| その頃、この息子社長と夕食をしたら、急に気持ちが悪くなり、トイレで吐いた。私は、経営的なストレスだと直感した。すぐに、近くにあった私の行きつけのスナックに行き、カラオケをした。当時、息子さんはあまりカラオケは好まなかったが、このとき、ストレスが解消したようで、それから、彼はカラオケにはまった。大学時代に楽器を引いていたそうで、センスはあったせいか、めきめき腕を上げ、自動車を一人運転するときもカラオケを練習し、名人となり、音楽素養のない私はかなわなくなった。 |