20年ほど前、ある中堅の自動車メーカーの下請協力会で生産管理の勉強会を富士の裾野の豪華な研修所で2泊3日のスケジュールで行った。主催者が、何か良い副読本はないかと聞いた。私は司馬遼太郎の「坂の上の雲」をあげた。そして、これは数冊の文庫本になっているので、203高地の戦いを書いた冊子だけ副読本とするようにした。主催者はこの本がどうして生産管理と関係するのか、最初は理解できなかった。私は最終日のまとめで解説すると言った。
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この研修は夜遅くまで、グループに分かれ私の課題を討議し、翌朝発表する。ところが初日の夜から問題が発生した。夜は人を異常な心理にするらしい。あるグループにいた人の会社は、トヨタにも納入していた。当時、トヨタ方式はまだ、一般的ではなかった。その会社の人は、他の人と全然話がかみ合わないと相談に来た。別なグループでは、親会社の押し付け的な購買契約を批判し、顧客からの支給品が不良でも下請のせいにすると怒って、不穏な雰囲気になった。私は、主催者に親メーカーの購買課長と担当を2日目に参加してもらうように要請した。購買課長は立教大の野球部の出身とかで、長島選手の後輩であった。夜、彼と長島さんの話をした。不穏な雰囲気は治まった。
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203高地の戦いは、乃木将軍の第3軍とロシア軍の戦いであるが、目的は、旅順港にいるロシアの軍艦の破壊であった。これはヨーロッパから来るバルチック大艦隊と合流して、大艦隊となることを避けるためであった。最初は1ヶ月もかからない簡単な戦いと思われていた。これが実に、数ヶ月の戦いとなり、かつ、多くの死傷者を出す日本軍にとっては凄惨な戦いとなった。塹壕に隠れて前進する兵士が機関銃にやられ、塹壕に倒れる。次第に塹壕が死体で埋まる。次の兵士は死体の上を動くから、体が塹壕より上に出る。また、やられる。そこで休戦となり、その間に死体を塹壕から除く。これを繰返す。
司馬遼太郎は、この203高地を書くとき、いろいろな資料を調べて、それを筆にするとき、大きな虚無感に襲われ、日本人は、こんな愚かな人種なのかと何度も筆を置いたという。それは実にデタラメな戦術の結果だからである。ある意味で、欧米の近代兵器の戦いに、日本陸軍がはじめて対抗した戦いであるといえる。アングロサクソンのマネーゲームに向かった日本と似ている。
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私はこの死体を無駄な在庫にたとえた。そして、生産管理スタッフの無能はこわいと言う説明をしたのである。そして、ある会社の改善に行ったとき、工場の広い中二階にあがったとき、それは全部デットストックであると聞いたとき、背筋が寒くなり、思わず念仏を唱えたと言った。その会社の改善開始のときに、私はこの何億というデットストックの法要を行うべきだと言った。その感性がなかったなら、改善は成功しないと言った。
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203高地は、最後に業を煮やした児玉参謀長の越権行為に近い指揮で2、3日で落ち、旅順の艦隊は壊滅する。司馬遼太郎は、日本軍が駄目になったのは、この日露戦争以来だという。氏の乃木将軍の評価は低い。児玉将軍の評価は高い。児玉将軍は後に台湾総督府に行くが、朝鮮と違い台湾は反日感情があまりないのは、彼の善政によるのであろうか。
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乃木神社は大きな神社で、東京の六本木にある。しかし、児玉さんの神社は、江ノ島の橋を渡ったすぐのところに小さな神社で、ひっそりとしてある。私は何度も訪れた。
司馬さんは、日本の将来を憂えて亡くなった。今、日本は203高地の戦いに入っているのであろう。児玉さんはいるのだろうか。
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どうも、息の抜けない話となったようだ。
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