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横手山・万座温泉・滋賀高原(木戸池)
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横手山は、滋賀高原と白根山との間にあり、滋賀高原側は壁のようにそそり立ち、白根山側はなだらかである。この山は高校・大学時代、数回登った。当時、登るルートは、滋賀高原、白根山(これは草津温泉につながる)、万座温泉からの3つである。
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私がこの山によく登ったのは、高校時代、万座温泉に湯治客として滞在したからである。温泉には当時、古ぼけた湯治のための旅館が2、3あり、一部屋十畳くらいの部屋に数人、相部屋で泊まり、自炊したものである。子供の頃、3歳上の兄は健康優良児であったのに、私は虚弱児で、特に胃が悪く、痩せていた。そこで、一念発起して、胃に特効があると言われていた万座温泉に高校生の夏休みに一人で湯治に行くことにした。万座温泉は硫黄泉である。湯治客は、年寄りが多く、私のような高校生1人は皆無であった。そこで皆、私の自炊をかわいそうだと手伝ってくれた。
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同じ部屋に群馬の山奥の発電所長がいた。もう定年が近く小柄で痩せていたが イン テリ風で神経質そうであった。胃潰瘍で湯治に来ていた。
あるとき、この発電所長は、私に「もう、年だし、健康も良くないので山に来る こと はこれで最後であろう。せめてもの思い出に、行ったことのない滋賀高原に一度
行っ てみたい。案内してくれないか。」と頼んできた。
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山の霧は早朝、上に向かってあがると天気が良くなるという。霧が上昇している早朝、朝食を早く済ませ、発電所長と私の2人は、まず、横手山に向かった。朝、8時くらいに横手山頂に立った。晴天で絶景である。とたんに下に見える滋賀高原から朝の冷たい風が吹き上がって来た。その冷たい風で腹を冷やしたのか、突然、発電所長が胃の激痛を訴えた。胃潰瘍の痛みである。胃を抑え我慢しながら、滋賀高原側の石がごろごろしている急な坂道を降りた。休み休み志賀高原に向かって降り、熊の湯から平坦になり、滋賀高原の中心である木戸池に着いた。もう、正午近かった。驚いたことに昼食を取ったら、ピタッと痛みはなくなった。元気になった。胃潰瘍は胃に何か入ると痛みがなくなることがあるとはじめて知った。それから、ゆっくり志賀高原を楽しみ、午後復路に向かった。今度は横手山経由でなく、笠岳のほうの平坦な道をとり、無事、夕方には温泉に戻った。発電所長は滋賀高原行きに成功したので感激していた。
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2,3日後、母は、私が1人で出かけて自炊していたので心配して、温泉に顔を出した。入れ替わりに、発電所長は、夏の休暇が終わり、発電所に帰ることになり別れとなった。彼は母に礼を言って「お宅の息子さんは、年寄りのリードがうまい。あまりせかせず、しかし、時には励まし、おかげで最後の思い出に志賀高原に行くという望みを果たすことができた。」と言ったという。後から母から聞いた。発電所長とは、これが現世、最後の別れとなった。この年、1週間ほど湯治したが結局、胃は治らなかった。
翌年、再挑戦した。今度はもっと長くいるつもりで行った。途中で宿代がなくなった。宿の主に頼み、アルバイトの番頭助手になり、さらに10日間ほどいることになった。番頭、馬方、飯炊き爺さん、娑婆を流れ流れて、山の宿にたどり着いた年老いた板前などのいる部屋にほうりこまれた。夏の宿は混む。昼は番頭助手として客を案内して疲れる。夜になるとその部屋で電灯がこうこうと照っていても、馬方連中がエロ話をしていようと、神経質な私でも疲れて寝てしまう。驚いたことに、お湯よりは、この部屋で10日間ほど寝たことで神経が太くなったせいなのか、原因は不明であるが、この年の湯治で胃が治ってしまった。今日にいたるまで、慢性の胃弱に悩まされることはなくなった。
それ以来、万座温泉には行っていない。今では、近代的なホテルに置き換わっているそうで、昔の湯治場の面影はないであろう。
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