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沖縄は今年で復帰30年である。
私は、1980年以来、3年連用日記を欠かさず書いている。今年は、8冊目になる。継続できる理由は、2、3日書き忘れても、思い出して書き込むからである。海外には持っていかないが、いろいろメモをとるので、帰国してから連用日記に転記する。こうして1日も空白はない。1980年の22年前の日記を読むと、当時、沖縄の工場に頻繁にコンサルティングに通った記録がある。2年ほど続いた。以下はその日記からの抜粋である。
- 右側通行
私が沖縄に通ったのは、復帰して数年たっていたが、まだ右側通行であった。私が通っているうちに、本土並みの左側通行になった。ホテルに迎えに来た部長が、右側を走り出したので、私が「反対側だよ。」と言ったら、あわててレーンを変えた。一斉に変えた翌日の新聞には、バスが路肩からはずれたという記事がかなり出た。
- タクシーの運転手
沖縄は鉄道がない。バスかタクシーが主な交通手段である。このため、タクシーは本土より安く、かつ、補助金をもらっていたように記憶する。ある日、タクシーに乗ったら失業率が高いので、タクシーの運転手は、毎朝会社の入り口に並び、早い順にその日に運転できるのだということを聞いた。
- 牛肉
当時、沖縄だけ牛肉の関税はゼロで、肉好きの私は帰りに、ひれ肉の冷凍を飛行機で持ち帰った。肉はオーストラリア産であった。1週間くらいは肉の夕食であった。本土では8千円くらいするサイコロステーキが3千円程度であった。
- 台風
幸運に台風に遭ったことはない。あるとき台風が近づき、那覇空港に行き、予定した便の前の便にギリギリ間に合い、変更手続きをした。私が最後の乗客で、飛行機は離陸した。それが最後の便で、後は2日ほど欠航となった。運が悪いと、2、3日、足止めされることもあるが、そういうことに遭遇しなかった。
- 万座ビーチ
仕事が終わってから、1泊、自費で万座ビーチに泊まった。海水浴をしていると、綺麗な熱帯魚が群れている。足裏がこそばゆいので見るとその熱帯魚が私の足裏の皮膚を噛んでいる。捕まえようとしたがさっと逃げた。人懐こい熱帯魚である。
- 磯の匂い
ある夕方、私がコンサルに行っていた会社のグループで海岸でバーベキューをした。本土の海にある磯の匂いがないのに気がついた。理由は磯の匂いは海の生物の死骸の匂いだからだという。沖縄の海はサンゴ礁で囲まれているから、その匂いはないのだという。
- ハブとゴルフボール
沖縄はゴルフが簡単にできるが、夜、ラフに入ったボールを取りに行くのはハブがいるので危ないという。私がコンサルに行っていた会社の人で、出勤前に早朝ゴルフをしてくる人がいたが、ラフに入ると前夜のボールがたくさん残っていると言っていた。
- 古城のホタル
沖縄には、丘の上に古城がある。ここにはホタルが群れをなす清流がある。夜、見に行った。確かに、多くのホタルが飛んでいた。しかし、ハブに気をつけるように言われたので、びくびくしながら眺めた。
- 石垣島
那覇空港からジェット機で50分くらいで、石垣島についた。夏の最盛期であった。海水浴場まで、タクシーでとばした。アスファルトはとけそうに熱くなっていた。途端にスコールが来た。雨水が熱いアスファルトに当たるとすぐに気化して、ものすごい霧となり、タクシーの先が見えなくなった。タクシーはのろのろ運転になった。熱帯らしい豪快さである。海水浴の海岸についたら、もう、雨は上がり、海水浴ができた。
- 沖縄タイム
私が行っていた頃、沖縄には沖縄タイムというのがあり、結婚式など何か集まりがあっても、開始時刻が予定より、かなり遅れるという。官庁の集まりでもそうなので、時間厳守のキャンペーンをしているという話を聞いた。私がコンサルしていた工場も8時半の開始であるが、実際にラインが動くのは9時頃であった。改善が進むうちに、8時半には動くようになった。
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