花火と文楽の落語 (H14年8月2週号)

花火のシーズンである。

花火の音は、ドーンという軽い発射音の後、しばらく間(マ)があって、次にドカーンという空での音がテンポよくつながる。花火の華麗さよりも、この音の歯切れのよさと、この2つの音の間(マ)が好きである。したがって、音と煙だけの昼の花火も好きである。 昔は、今のようにバンバン花火を連続して打ち上げるのは少なかったので、このリズムと間(マ)が感じられた。鉄砲でいうと一発ずつ弾を込めて撃つ方法である。今の花火は自動小銃のようなものである。

落語は桂文楽のファンであった。文楽がすきなのは、テンポが早いからである。声も高い。このため、逆に嫌う人もいるようだ。私は、文楽のテンポを花火にたとえたことがある。高い声は花火の音であり、間(マ)がよいことが似ている。存命中にLPの録音盤が10枚ほどセットで発売になったので購入した。しかし、LPは維持管理が大変で、結局、あまり聞かなくなった。
そのうちに、同じ特集でCDが発売されたので、これを購入し、LPは廃棄した(余談だがこれはレーザーディスクも同じで、カラオケや映画など10枚ほどあったディスクはプレーヤーとともに、廃棄され、DVDに変わった。浪費と環境問題が気になる。)。
しかし、落語は音だけでなく、身振りのうまさもある。録音ではこれが見えないのが欠点だ。文楽の古典落語には現在の「放送禁止用語」が多い。それは、目の見えない人が見えるようになるという話が2つほどあるからだろうか。これらは音だけでは分からない落語である。

文楽のように速いテンポの落語は、年をとってから大変であろう。そのせいか、柳家小さんはスローテンポなので逝去する直前まで、一応、寄席を無難にこなしていたようであるが、文楽の最後の寄席は、途中で話を忘れ、「また、勉強して出直してきます。」で終わったという。