日本ハムのこと (14年8月3週号)

牛肉偽造問題で、スーパーの棚から日本ハムの製品が撤去されつつあるという。第2の雪印になるのであろうか。

今から30年程前、産能大学の経営管理研究所にいて改善コンサルタントをしていた頃、日本ハムの工場改善に2、3年ほど通ったことがある。

最初の会社は日本ハムでなく、当時の大社(おおこそ)義規社長(現会長)が社長をしていた南九州畜産であった。この会社は、鹿児島の山奥の末吉町にある屠畜工場で、県が出資していた会社である。設立の趣旨は当時、鹿児島で飼育した豚は、芝浦まで運ばれ、そこで屠畜される。すなわち、折角の輸送費をかけても屠畜料が東京におちて、鹿児島にはおちない。そこで県内で屠畜工場を作り、金を県内におとし、雇用も確保しようというものであったと聞いた。しかし、屠畜場経営は県として経験が少ないので、民間の経営者にお願いしようということで、日本ハムの大社社長に白羽の矢が立ったのだという。
産能大への改善コンサル依頼も大社社長の発想であった。民間社長の発想である。

大社社長は本業の日本ハムの仕事で多忙であるから、この鹿児島の山奥まで来るのは、月に1、2回であったと思う。しかし工場に来るなり、副社長(県の天下り)がいる別棟の事務棟に寄らず、いきなり、現場に行き、設備課長とともに現場を歩き、細かく指示を出し、1時間くらい現場にいて、指示が終わるとさっさと工場を後にしていたという。東芝の土光社長スタイルであった。副社長は現場に行くことはなかったという。設備課長がそういう話をしていた。
設備課長は、もとは北九州の炭鉱設備の技術者であったが、廃坑とともに職を失い、この会社にその技術を生かし、採用された。だから食品は完全に別業界であった。

私が数ヶ月設備課長と相談し、調査し、改善案を説明する日に社長は来たが、発表する会議の最前列に来て、熱心に聞いていた。質問も「床の排水用勾配は作業性に関係しないか。」などと具体的で、出席者の中で一番、質問が多かったように思う。

当時、岩手県も同じ発想で屠畜工場を作ったが、経営者は県の天下りだということであった。その後この屠畜工場は経営的に失敗する。鹿児島県の判断は正解であった。

後に日本ハムの工場の改善に加わるが、当時、日本ハムがプロ野球球団を買収するという噂が流れていた。私たちは、現場で知恵を出して改善をしているのに、贅沢であるという感じであった。しかし買収が行われ、その宣伝効果は大きく、経営的に成功した。先見の明はあったのであろう。

後に産能大の後輩であるセミナー講師が「日本ハムが球団を買ったのは、産能大のコンサルの助言による。」と話していると聞いたが、それはウソである。当時は、球団買収はあまり好感を持っていなかった。

食肉というのは建設同様に、社会主義的な政治色が強い業界である。しかし、その中でいち早く合理的な改善を導入し、業務の隅々まで知っていた社長の会社が、業界トップに乗り出したのが1970年代の日本ハムである。しかし、やはり大きくなって政治的な体制に甘えたのであろうか。