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田中氏が圧勝で長野県知事として再選された。前回より、多く票を集めた。
長野県知事は、戦後、代々、県庁からの出身者が中心で、最初に長年(6期24年)君臨していたのは、「西沢権一郎」氏であった。氏は長野市近くの山村の出身で、私の母と小学校の同級生であったので、母は同窓会で知事に会ったと自慢げに語っていたことがある。
父は、母の生まれた山村とは山1つ越えた新町の生まれで、ここは西沢姓のメッカである。一時、村長と助役が西沢であったという。新町は戦後、信州新町になったが、犀川のほとりにある小さな町である。犀川は、長野市に流れ、上田から来る千曲川と善光寺平(川中島)で合流し、信濃川となり、新潟県で日本海に注ぐ。町おこしで信州新町と改名し、ジンギスカン鍋を売り物にした。
20年ほど前、横浜で、ドックで病院に入ったとき、偶然、看護婦に西沢姓の人がいた。出身を聞いたら信州新町であった。「遠い親戚かもしれない。」と冗談を言った。
歴史上、西沢が登場しないので、明治維新のとき生まれた苗字かと思っていたら、高校のとき、図書館で分厚い日本史の本の中に、江戸時代に「西沢一風」という小説家が登場しているのを見つけた。私は、もじって西沢十風という私のペンネームを考えたことがある。
中学生のとき、兄が「お前と同姓同名の人が本を出している。」というので、本屋で見たら、ペンネームは「ぬやまひろし」と平仮名であるが、本名が「西沢隆二(タカジ)」であった。
放浪の詩人といわれたが、共産党員(後に除名)で、戦争中は獄中で十何年も過ごしたという。しかし、生まれは東京であった。
司馬遼太郎の「土地と日本人」に、司馬氏との対談が記録されている。 彼には、一人娘がいて、流浪の旅につれて歩いていた。しかし、その女性の話は長くなるので別の機会にしたい。
中日ドラゴンスに「西沢道夫」という不動の強打者がいた。東京育ちだが木曾の出身だと聞いた。戦前は投手で延長28回を投げ抜いている。ノーヒットノーランの記録を持つ。戦後、打者で活躍。50年には46本塁打、135打点と今も残る球団記録をマークした。戦前から打者としてプレーしていたら2000本安打は軽く達成しただろうといわれた。25試合連続安打の記録、満塁本塁打年間5本の記録などがある。
西沢選手が活躍している間だけ、私は、ドラゴンスファンであった。
私が大学生の頃、通信工学会の学会誌に毎号のように「西沢潤一」という東北大助手の人の論文が掲載されていた。同姓なので気にしていた。当時、すでに氏は光ファイバーの原理を提唱するが、学会ではばかにされた。結局、アメリカにとられてしまう。一時、ノーベル賞候補とまで言われた。現在、岩手県立大の学長で、75歳であるが若々しい。最近、米国電子電気学会で西沢潤一メダルが創設されたという。この学会にはエジソンメダル、グラハムベルメダルがあるから、ノーベル賞以上に名誉なことである。
三十年くらい前であろうか。文芸春秋に「脱獄の名人」の記事が実名で載った。これが「西沢何がし」であった。これも同姓なので覚えている。4回ほど、脱獄不可能といわれた刑務所を見事に脱獄する。後にテレビに仮名でその脱獄方法が再現されるが、すごい知恵である。
例えば、網走刑務所に入れられたとき、毎日の味噌汁を鉄格子の根元に吹き付ける。その塩分の蓄積で鉄格子の根元が次第に錆び、力を加えるとはずれた。こうして脱獄が完成する。しかし、脱獄は知恵とある程度の体力がいる。だから、70才代でついに脱獄を断念したという。
こういう知恵を、もっと他に有用な方面に生かしていたならばと思うが、人には避けられない運命みたいなものがあるのだろう。この人の出身地は知らない。
人生、いろいろである。
沢がつく苗字は、東日本に多く、西日本では激減するとのことである。
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