シートン動物記(H14年9月3週号)

  1. シートン動物記との出会い
    動物の観察記は、ファーブルの「昆虫記」が有名で、読まない人でも本の名前くらいは知っている人が多いだろう。
    それに対して、シートンの「動物記」は知らない人が多いのではないだろうか。シートンの動物記は、アメリカの荒野を舞台に活動した動物記だけに、「昆虫記」と違い壮大な動物記である。そして、動物を人間のように描いている。狼王ロボとか、捕らわれるより死の自由を選び谷に飛び込み自殺した野生の名馬の話とか、多くのヒーローの物語がある。それらのヒーローは多くは悲劇のヒーローであったが、気高く、侵すことのない威厳があった。「昆虫記」同様、絵も挿入されていた。

    シートン動物記は、小学4年生のときにはじめて学校の図書で読んだ。担当の先生から、これは良い本だから、全部、読むよう励まされて、10巻くらいの本を全部読んだことがある。この担当教師は、弁護士を目指して挫折した人だということであったが、戦争末期、授業中に太平洋の地図を示し、「アメリカの攻め方は実にうまい。」と言い、「しかし、他の人に言うなよ。」と言っていた。ちょっと変わっていた。

    「シートン動物記」は、かなり、年配になっても「愛読書は?」と聞かれると名をあげたほど、その後の生き方に影響を与えた本であった。

  2. 今泉教授の研究
    ここ30年ほど、忙しくて、つい、シートンを忘れた。ところが、最近、山梨県の都留文科大で環境生態論を教える今泉教授がシートンの評伝を出版した記事を新聞で読んで、また、シートンを思い出した。教授は、熊が出る大学の裏山に小屋を建て、ムササビと寝泊りしながら動植物を観察しているのだという。
    教授は「管理社会と言われる今の日本でこそ、シートンをもっと見直されてほしい。」という。たしかに、政治スキャンダルだ、食品偽装だ、子供の虐待だという時世に、シートン動物記に登場するいろいろな動物は、雄大な自然の中で、実に誇り高い姿で生きていた。 ペットと違う生き物としての教訓をわれわれに与えていたのである。

    今泉教授によると「シートンは科学者というより芸術家。科学者は流行に流されがちだが、芸術家は自分の心に問いかけながら自己の進路をすすんでいくからだ。」とのことである。 そして、その著では、社交家としてのシートンも紹介しており、自然に逃避した人でないという。

  3. ある環境破壊
    環境というと廃棄物の話が多いが、野生の生き物との生きた付き合いがなくなったのも、環境被害であろう。
    私の近くでぶつかる生き物は大量のカラスくらいなものである。しかし、これももう野生の姿ではない。人の餌を好む猿、狸、猪などは人間に寄生しているから、その知恵は何かスケールが小さく、がつがつしており、得る教訓は少ない。生きる崇高さと葛藤する貪欲、恫喝、ごまかしあいは、これらの動物から学ぶことはできない。貪欲、恫喝、ごまかしだけである。人もそういう人が増加するだろう。これは、石原慎太郎氏のいう国家を忘れた占領政策の成功か、あるいは、環境破壊の影響か。