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10月27日の土曜夜に、NHK衛星放送で映画「プライベイトライアン」の放映があった。3時間の映画である。監督はスピルバーグ。
まず、白い十字架が林立するアメリカの戦士の墓に行く10人くらいの家族の姿から始まる。ライアンらしき老人がある墓にひざまずく。途端に、1944年の地獄のような戦争シーンに切り替わる。
この映画は、トムハンクスの大尉が、特命で数人の部下を連れ、行方不明のライアンという兵士を探し出し、連れ帰ることであった。理由は、ライアンは4人兄弟の末子で、すでに3人は戦死しているので、これでライアンが戦死すると、家族が絶えるからということからである。
ようやく、ライアンを探し出すが、大尉は戦死する。大尉は息を引き取るときに、ライアンに「有意義な人生をおくれ。」と言い残す。ここでシーンが最初の墓に戻る。若い兵士のライアンの顔が老人の顔になる。ライアンは大尉の墓に向かって「長い間、有意義な人生をおくるよう努力したが、果たして十分か自信がない。」というようなことを墓に語りかける。ライアンの夫人が「あなたが有意義な人生をおくったのは、皆知っている」と慰める。
大尉の墓に記された文字が拡大しつつ、この映画は終わる。
これでふと連想したのは、50年程前に学生時代に見たアメリカ映画の「頭上の敵機」という白黒の戦争映画である。
これは、背広姿の紳士が自転車に乗り、田舎道をゆっくり走るシーンから始まる。ある草が高く茂っている原に来て止まる。何か回想する。途端にシーンは、1944年頃の、アメリカ爆撃機の基地のシーンになる。若いグレゴリ―・ペックの爆撃隊長が主人公である。激しい対空砲火の中を何べんも爆撃に出撃するが、部下も失う。あるとき、疲労のための神経症なのか、爆撃機に乗ろうとした腕に力が入らなくなり、陣頭指揮の出撃参加を諦める。しかし、出撃した部下が全部無事に帰るまで、ベッドに出撃の服装のまま横になるが眠れない。やがて、爆撃を終わった飛行機が逐次帰り、全部、無事に帰る。途端に、隊長は深い眠りにつく。副官がしずかに毛布をかけ、靴を脱がせるシーンが出て、一挙に、最初の背の高い草のしげっているシーンにもどる。紳士はかっての副官である。紳士は、しずかに自転車をこいで、去って行く。まさに「夏草や、強者どもが夢のあと」である。
スタートが現在で、終了がまた、最初にもどるという回想シーンが2つの映画に共通している。
この「頭上の敵機」は私個人の好みで記憶しているだけであった。ところが、十年ほど前、ある会社に行ったとき、同年輩の重役と若い頃見た映画の話となった。このとき私が「グレゴリ―ペックの爆撃隊長の映画が印象にある。」と言ったら、その重役は「頭上の敵機」と映画の題名を即答した。わたしは驚き、真の同好の士を得た思いであった。
作家・阿川弘之氏(テレビタックルの司会の阿川女史の父君)は、海軍の出身であるが「第2次大戦で、本土決戦を避けられたのは、海軍の上層部の働きのおかげである。」と言っていた。そして「こういう60年位前の話をすると、今の若い女の子は、『それは関係ない話だ』というが、もし、あのとき、本土決戦になっていたら、その女の子達の父母は死んでいたであろう。それなら、彼女らは現在、存在していなかったであろう。」と言っていた。
同じように、ライアン兵士が戦死していたら、墓参りに来たライアンの子供、孫など、十人くらいの人生も存在しなかったことになる。
人は意識しなくても、自然に祖先のDNAと文化の歴史の産物である。こわいのは、それを理解しないことであろう。
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