| 時代小説に出てくる刀の描写が気になってきた。それは、日本刀がもろいことである。日本刀でばったばったと人を斬るというのはウソであるから、そういう時代小説が出てくると気になるのである(このホームページ息抜きコーナーの5.娯楽・スポーツ・映画・読書の「多田容子『月下妙剣』:H17年10月4週号」参照)。
古本屋で立ち読みしていたら、ある時代小説(著者名は忘れた)で、13代室町将軍足利義輝(この弟義昭で室町幕府は終わる)の話が出ていて、これが殺される話が出てくる。この義輝将軍は「剣豪将軍」と言われるほど、剣の達人であった。
二条城で松永,三好の賊徒に襲われたときに、義輝は、足利家に伝わる名刀10本を抜き身で畳に林のように突き刺した。これは刀が血糊や刃こぼれで斬れなくなっても直ぐに代えられるようにしたためだ。名刀は典太光世・鬼丸國綱・大包平・九字兼定・朝嵐勝光・姉小路定利・二つ銘則宗・三日月宗近・童子切安綱など。名刀は、切れ味はいいが、もろいことを知っていたのである。配下30人が討たれても、一人で戦い続けた。襲ってくる敵を、刀をとりかえては切りまくったという。義輝のこの戦い振りで三好軍は多くの死者を出したが、義輝の体力も次第になくなり、多勢に無勢で最期は討ち取られたとも自刃したとも言われる。ときに30歳であった。
藤沢周平の時代小説では、刺客の相手は、多くてもせいぜい2、3人であるから、刺客の刀がどうなったかという話はあまり出てこない。
幕末は、暗殺の連続である。暗殺者では、土佐出身の「人斬り以蔵」が有名で、この題名で司馬遼太郎の短編もある。別に薩摩の「人斬り新兵衛」という人物がいる。船山馨氏の「幕末の暗殺者」に登場する。これによると、文久3年(1863年)5月国事参政右少将姉小路公知が暗殺されたとき、刺客は刀を放置して逃走した。刀の銘から「人斬り新兵衛」の刀であることがわかる。しかし、本人は否定する。刀は研ぎに出してあったからである。本人は慌てて研ぎ屋に飛ぶ。ところが暗殺の当日、ある若い女が「人斬り新兵衛」が急用で国表に立つからといって、刀を持ち帰ったという。ワナである。
研ぎに出したのは、その2日ほど前、妓楼でカッとなって松の枝を切ったとき、刀身の一部が脂を吸って曇りができ、刃こぼれもしたらしい。一撃必殺の刺客には刀の切れ味は絶対の品質である。だから、すぐに研ぎに出したのである。
暗殺をめぐる幕末の複雑な争いとともに、松の枝を切っただけで研ぎに出すという、気になった日本刀のもろさが出ている。これがこのワナの背景になっている。
結局、「人斬り新兵衛」は、このからみで捕らわれ自刃する。一説では殺されたのではないかという。
もう一方の「人斬り以蔵」は、多くの志士を斬るが、その腕はすごく、池内大学を斬ったときは、連れの2人が以蔵にまかせて見ていたが、その2人の眼にもとまらず、刀が走り、首がとんだという。日本刀は、長持ちしないが切れ味はいいことを示している。勝海舟の用心棒までやる。しかし、放浪して、金に困り、名刀も売り、無力となり、捕らわれ、最後は獄門となった。
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