脳内汚染
(H18年3月4週号)

小学生や若者の従来にない異常な犯罪の科学的な因果関係を知りたいという動機は、脳科学の進歩にしたがい、脳との関係が中心になってきた(このHPの息抜きコーナーの1.一般的な社会問題・文化・習慣の「もっと物質的なことばで:H17年7月1週号」参照)。

2002年に森昭雄日大教授がTVゲームのやりすぎで前頭前野の活動が劣化する「ゲーム脳」という新説を出し、物議を起こす。前頭前野というのは、人の思考や自己抑制が関係するのでこの脳の活動の劣化は「切れやすくなる」という行動につながるというわけである。

近刊で、メディア依存症の危険として説くのが岡田尊司教授「脳内汚染」(2005年12月文芸春秋社刊)である。ゲームにより脳内の神経伝達物質ドーパミンの濃度増加をあげ、それは麻薬を使ったと同じ現象だという。この本の基礎になるのは、17歳の少年による寝屋川殺人事件を契機にして行った寝屋川調査(対象者約3千5百人)の統計データであるが、気になるのは、データのもとになる膨大なアンケートの質問内容が主観的なことだ。例えば「生まれてきてよかったし、自分のことを好きだと思うか。」とか、「うまくいくか不安で、行動する前にあきらめてしまうか。」というような内容である。これを集計すると、数字になるので客観的な印象を受けるが、砂上の楼閣になりそうだ。科学的な説得性が不十分な気がする(息抜きコーナーの「下流社会:H18年3月1週号」参考)。

時を同じくして発行されたコンピュータ教育のパイオニアの戸塚滝登氏の「コンピュータが連れてきた子供たち」(2005年12月小学館刊)では、この本の最後で、「10才の誕生日を過ぎるまでは、@インターネットは与えない、Aパソコンよりは五感身体感覚を優先、B人工より自然優先」という3か条の警告をしている。この本を書くきっかけとなったのは、長崎の小6女児の同級生殺害事件で、その「脳の可塑性」という「科学的な説明」を、統計的な方法でなく学説の論理的な積み上げで試みている。「孟母三遷」である。しかし、氏の言うように、子供は白紙で生まれてこない。すでにDNAで50%は決まっている(このHPの息抜きコーナーの1.一般的な社会問題・文化・習慣の「生まれか育ちか:H16年11月3週号」参照。)学生時代、劣等生のアインシュタインが羅針盤との偶然の出会いでその知能が開花したように、後の50%は大人が制御不能の「運命」で決まるのは仕方がないようだ。

これとリンクするのは、「バカの壁」の養老孟司氏の「脳化社会」である。氏は、都市化、すなわち、脳化の問題点を述べている。これは、自然に学ばなくなった弊害である。氏は、都市に住む人は、半年は、田舎に住むべきとして、半年ごとの参勤交代制を提案している。しかし、戸塚氏の3か条を実施すると子供に悪い効果が出ないという考えが、すでに、子供の育成を制御できるという「脳化現象」ではないのか。

さらに、リンクするのは、今、ベストセラーになっている数学者の藤原 正彦氏の「国家の品格」(新潮新書)である。日本文化の崩壊を警告し、これが日本国家の品格を落としていると警告している。論理が上にあるのでなく、論理の上に、文化的な伝統がある。これも「脳化社会」になりつつある日本の問題点であろうか。「人を殺すことはいけない」は論理の問題ではない。TVゲームの殺人ゲームのせいでなく、論理の上にある文化的な伝統の崩壊のせいではないのか。一方で戦争では殺人は正当化される。

両親が医師で、東大、大蔵官僚というエリートコースを進んだ永田議員が挫折したときの対応は、「国家の品格」が要求する条件からするとエリート失格であろう。あるいは、彼の脳のMRI検査をすれば、その腹内側前頭前野に異常があるのか。

上記の諸氏の警告は、一見、バラバラのようであるが、日本が今置かれている問題点については、その視点は一致しているように思う。それは脳、すなわち思考の汚染である。
日本人は、子供だけでなく、大人も脳内汚染におかされているようだ。