| これは、ゴダードの2003年の作品である。昨年、和訳が文庫本で発行された。ゴダードは、処女作「千尋の闇:Past
caring」を1986年に発行(和訳は1996年)してから、ほぼ、毎年、新作を発表している。この「悠久の窓」は、その15冊目になる。安定した作家である。日本ではすべて文庫本で和訳されている。
この「悠久の窓」の後は、2004年に「Play to the End」、2005年に「Sight Unseen」、2006年に「Never
Go Back」を原書で発表している。和訳が早くても2年かかるようで、「Play to the End」は今年2006年1月に「最後の喝采」という和訳タイトルで講談社文庫から発行された。これで私の手元にあるのは16冊(上下のものは1冊として)となった。いつもながら、和訳の題名はこっている。「Sight
Unseen」と「Never Go Back」の和訳は、ゴダード・フアンの待望に応えて、今後、逐次、発刊されるであろうが、どのような和訳の題名になるかに楽しみである。
処女作「千尋の闇」の訳は、原書の発行後、10年もたってからである。その和訳により日本で有名になり、その年のミステリー小説ナンバーワンになったが、知られなかった10年は長い。この情報のグローバル化時代には珍しい現象である。
ところで、この15作目の「悠久の窓:Days Without Number」は、サスペンスとしては、惹きつけられるが、実を言うと私には、あまり、面白くなかった。
ゴダードの作品は、バラツキがあるという批評家もいるようだし、期待する好みが人によって違うのであろう。
前半は、謎が謎を生む展開であったが、ドタバタ的なシーンが後半展開するのは、ゴダードらしくないような気がする。
「千尋の闇」のようなしっとりした味を全体的に期待したせいであろうか。
この小説の最初で、主人公ニックは、謎の若き女性に会う。しかし、この女性が、次第に、アクション映画の女忍者のように変わっていく。このため、しっとりした謎解きではないからであろうか。
それにしても、このような長編をいろいろ調査もしながら、毎年、小説を発行するのは、プロとはいえ、大変な作業だろう。歴史的な背景が多いのは、著者がケンブリッジ大学で歴史を学んだという経歴からであろう。
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