| インターネットでいろいろな読者のレビューをみることができる。この本のレビューを2つのサイトで見たが、それぞれ百数十人くらいのレビューが載っていた。
驚いたことに、5ランクで行くと、最低の1点から、最高の5点までばらついている。「すばらしい本である。」というのから、「中味は参考にならなかった。買って損した。」というのまである。
私は、この種の本は、自分の考えを補強するために買うので、本の内容が全部、気に入らないということは滅多にないが、この本の帯にある「非言語コミュニケーション入門」という文句に惹かれ、何か体系的なものを期待した人は裏切られるであろう。買う読者に過大な期待を寄せさせるのは、出版社の売らんかなの手であるが、それは逆に買い手の不満となる。
「第1感」という本も(このHPの息抜きコーナーの「『第1感』と『人は見た目が9割』:H18年4月3週号」参照)、その帯に「データ、論理、会議はもういらない、『ひらめき』で判断する驚異の思考方法」とあるが、中味にそんな思考方法は書いてない。原書にもそんな宣伝文句はない。ある読者がレビューで「書いてある中味はマアマアであるが、この帯文に呆れて、最低の1点にした。」と書いていた。
この「人は見た目が9割」の本では最初、人が他人から受け取る情報の割合は、顔の表情が55%、声の質(高低、大きさ、テンポ)が38%、話す言葉の内容が7%であり、コミュニケーションの「主役」は言葉でなく、「見た目が九割」であるとしている。したがって、これを受けて、人の身体表現である表情、声について詳細な展開をするのが本来なのだが、バラバラな話が展開する。特に、問題なのは、著者がマンガ原作者であるというためか、マンガの描き方の工夫が長々と詳細に書いてある。私はマンガを読まないので、この記事は新鮮であったが、マンガを「非言語コミュニケーション」の手段に入れるとは驚いた。それでは写真も入るのではないか。ところが写真は入れていない。バラバラである。
養老孟司氏によると文字には表音文字と象形文字がある。日本語は、カタカナは表音文字、漢字は象形文字で、この2つを使いこなす民族は珍しいという。そして、この文字はそれぞれ使う脳の部分が異なるので、日本人の脳の使い方はすばらしいということになる。したがって、同氏の漫画家牧野圭一氏との対談集は「マンガをもっと読みなさい―日本人の脳はすばらしい」である。このように養老孟司氏によると、マンガは「言語コミュニケーション」の1つと考えている。
「第1感」で述べているが、アメリカの科学者のトムキンスとエクマンは、顔の筋肉の動きを研究し、43種類になることを発見。そして、この組合せで顔の表情で意味があるものを3千通りの組合せを特定した。エクマンは「暴かれる嘘」という本を20年くらい前に出している。
このような理論的な深みが「人は見た目が9割」にはない。深くて面白い話題だが、もっと書きようがあったように思う。
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