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オホーツク海は、流氷の時期である。今年は、例年より早いという。
2月の北海道の紋別に、20年程前に行ったことがある。流氷見物ではない。仕事である。実は、産能大学は短期大学の文部省認定の通信教育をしており、スクーリングが必須科目であった。ある程度、地方で学生が集まると、こちらから講師が出かけてスクーリングする。学生(といっても勤めている人だが)は東京までスクーリングに行かなくてもよい。30年ほど前から、その講師として、地方に出かけることが多かった。
北海道は、その講師として行ったのだが、現在まで、その1回だけである。勉強の手伝いに行くのであるから、夏でなく、紋別の人にとって仕事が多少ヒマな真冬の2月の出張である。
千歳空港について、それから札幌に行き、紋別までは特急で北海道横断である。車窓から見渡す限り、行けども、行けども、雪の平原の連続には驚いたものだ。
紋別に着いたのは、夜、7時頃である。マイナス10度くらいであろう。出迎えに来た人が、宿まで案内してくれた。彼の靴の裏は滑り止めがついているので、雪道を歩くのは速い。こちらは滑らないようにもたもたしてついていった。
宿の部屋の暖房は、オガ炭をたくストーブである。トイレには電気ストーブついていた。真夜中にこのストーブが消えて往生した。
学生は昼間、勤めているので、夕方から講義を2日連続で行うことになったので、昼はヒマなのでぶらぶら町を歩いて海岸に出た。晴天である。海はオホーツク海である。しかし、海は見えなく、おびただしい流氷の山が凸凹になり沖まで連続していた。動かない。凍りついている。これを伝わっていけば、沖まで歩いていけそうだが、氷が破れてドボンと落ちたら一巻の終わりである。だから、立ち入り禁止の立て札が立っていた。
流氷は流れてくる風景をよく写真で見るが、流れ着いて岸から沖に凍りついている風景も壮大である。この流氷の壮大な荒野は今でも明確に思い出す。
また、当時から、札幌の雪祭りは有名であったが、紋別も似たような祭りがあり、それを見て回った。
全日空の札幌雪祭りの帰り便が羽田沖で墜落した事故は、この2、3年後である。
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