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善光寺の本尊は、本堂の地下にある。だから、通常は、見ることはできない。これが7年ごとに上に出て、扉が開き、ある期間、拝むことができる。これが御開帳である。
最近、シリーズで「日本の遺蹟」という雑誌出るという広告があり、第1号が善光寺であったが、これはこの御開帳を記念したためであろう。
善光寺の本堂は、地下に回廊があり、真っ暗である。これをぐるッと周ると、カギのかかったところに来る。このカギを触ると極楽に行けるという。だから、先に行った仲間が「カギはここだ。」と言って、後から来た仲間の手を取って触らせる。真っ暗だから見えないのである。
このカギはあけてはならない。一度、敗戦で、米軍が進駐してきたとき、この中に武器を隠していないかということで開けさせたという。
善光寺の少し後ろは高い山である。この山の中腹の丁度、善光寺の本堂の真後ろにあたるところに、納骨堂という大きな建物がある。
これから左手だと思うが、山の中腹に突出した「謙信物見の岩」がある。上杉謙信が川中島の戦いのとき、ここから川中島を偵察したという。納骨堂や、この辺からは、目下の善光寺と、その下に広がる善光寺平が一望できる。善光寺平のその先は、また、高い山で、左は滋賀高原の山々である。広大な眺めである。
川中島は、この善光寺平の中央にある。ここで犀川と千曲川が合流し、信濃川になる。
上杉謙信と武田信玄の川中島の戦いは4回あったが、最後の4回目が有名である。謙信が一人、信玄の本陣に迫り、信玄に斬りつけたという。その像が、川中島の古戦場後にある。しかし、史実は、別の人が切りつけたようである。
この戦いは、早朝から始まり、夕刻近くまで行われた。日本の合戦史上、最長の戦いであったという。日本の合戦が短いのは、勝敗がきまりそうになると、負けるほうはすぐに逃げ出すからという。この戦いは、前半は信玄の裏をかいた謙信の勝ち、後半は、盛り返した信玄の勝ちと言われている。
謙信と信玄はその戦いの方法が、極端に異なる。謙信は、直感型であり、戦いの前に2、3日、一人、堂にこもり、その後、自ら先頭にたって、走り出すという。これに対して、信玄は、幹部と車座になって討議し、さらに演習(シミュレーション)もやり、戦略を決めたという。近代的である。
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