朝鮮戦争とトヨタ (H15年8月3週号)

先月末だったと思うが、深夜のNHKを見ていたら、古いドキュメンタリー番組の再放送をやっていた。それは、朝鮮戦争の特集で、前後編を一挙に放映していた。
今、北朝鮮問題が、マスコミをにぎわしているだけに、興味があり、ついつい、深夜まで見てしまった。
朝鮮戦争は、私の世代では、高校時代である。20年ほど前に、韓国に行ったとき、通訳をしてくれたウーさんは、私と同じ年だったが、高校時代は、朝鮮戦争の最中で、自動小銃の発射で青春が終わったと言っていた。彼は、最初は韓国軍にいたが、後に北朝鮮軍に入り、最後はまた韓国に戻ったという数奇の運命を辿っている。

NHKの再放送を見て、その戦争が未だに、現在の自衛隊から始まり、拉致問題や核開発問題に尾をひていることを知った。歴史の理解というのは現在を理解するためには重要であることを痛感した。

朝鮮戦争は、3つの時期に分かれるようだ。第1期は、北朝鮮軍が突然、38度線を越え、手薄な韓国とアメリカ軍を破り、一部は、日本海上に逃れたくらいに追い込まれる。九州を目の前にしたプサン(釜山)にまで北朝鮮軍が来る。当時、今にも、北朝鮮軍が日本に上陸し、真っ先に税務署員が殺されるなどいう噂が流れるくらい一時緊迫した状態が日本にもあった。
だから、自衛隊が生まれる。

それが、北朝鮮軍の背後の仁川にアメリカ軍が上陸し、挟み撃ち作戦をとるというマッカーサーの奇抜な戦略がとられ、これが成功し、北朝鮮軍は、退却し、アメリカと韓国を中心とする国連軍は、逆に38度線を越え北上する。これが第2期である。

国連軍が、中国国境に近づくと、かねてから警告していた中国から、義勇兵と称して、中国軍が、北朝鮮軍に加わり、反撃となる。これが第3期である。膨大な中国軍が投入され、国連軍は、後退しはじめる。これに対して、マッカーサーは中国本土の空爆や原爆の使用を言い出し、トルーマン大統領によって、解雇される。
しかし、中国軍の最後の人海戦術的な大攻撃は、徹底的なアメリカ軍の砲火、空爆などの火力による反撃で大きな損害を出し、後退する。ここで、休戦交渉が始まるが、もたもたしている内に、アメリカ大統領がアイゼンハワーになり、強硬路線がとられ、ようやく休戦となる。現在は、その状態が継続しているのである。すなわち、まだ、休戦で終戦ではないのである。北朝鮮にとって、アメリカはまだ、敵国なのである。

朝鮮戦争では、アメリカ軍のものすごい火力が使われ、朝鮮半島全体は戦火にさらされる。百万人を越える民間人が死んだという。アメリカ軍も3万人を超える兵士が戦死する。人海戦術で戦った中国兵は30万人を超える戦死者を出したという。

この消耗戦で、日本の戦後経済は一挙に拡大した。倒産しかけて、創業社長が退陣したトヨタは、石田社長の時代になるが、トヨタも朝鮮戦争の恩恵を受けた例にもれない。
「文芸春秋」に「ザ・ハウス・オブ・トヨタ」が連載されているが、今月9月号に、丁度、朝鮮戦争の時期のトヨタのことが書いてある。当時の石田社長の言ったこととして、次のような談話が載っている。

「この数ヶ月、ワシは夢を見ているようだ。トラックも四輪駆動車もろくに塗装もせずとも、羽が生えている鳥みたいに(韓国の米軍基地を目指して)飛んでいく。中国の義勇兵がプサンまで攻め込んできたときは、値段もへったくれもなかったで。よこせ、よこせの矢のような催促じゃった。ワシも長いこと商売をやってきたが、あの時ほどボロ儲けしたことはなかったわ。戦争直後のときも(豊田自動)織機は信じられないくらい儲けたが、今度はケタが違う。」

トヨタはこの儲けを最新生産設備購入にかけた。後のトヨタ生産方式成功の裏に、この多大の生産設備投資があったこと忘れてはならない。
歴史は偉大である。