8月15日(H15年8月4週号)

毎年、8月15日が来ると、いろいろな行事が行われる。そして、靖国参拝問題が蒸し返される。
考えてみれば、日本が、約2000年の歴史上、初めて外国に負け、占領された日である。だから、終戦記念日ではなく、敗戦記念日とすべきだと言う人もいる。しかし、敗戦を祝うというのはおかしいだろう。戦争で亡くなった人を祀るというのが本来の趣旨であろう。

昭和20年の8月15日は、私は13才だが、夏休みで、母の実家である田舎の叔父の家に泊っていた。叔父は趣味で川での投網をする人で、その日は天気がよく、投網に出るというので、ついて行った。途中、近くの人家に立ち寄ったら、どうも戦争が終わったらしいと村人が話をしていた。天皇の肉声のラジオ放送があったというのである。それで戦争は終りである。だから、戦争の生の危険を体験したことが無い。

しかし、3つ年上の兄は、学徒動員で、長野市の工場に働いていた。この工場が、8月13日頃に、アメリカの艦載機の攻撃を受けたので、戦争の危険を体験している。この頃の戦争体験は、年齢が少し違うだけで異なるのである。父は、自分で応募して軍需工場に徴用工として働いていて家にいなかった。

母は、この長野市の空襲で、私のいる実家に逃れてきた。母は、私に「これで日本は終りだね。」と言ったので、今の北朝鮮のように軍国少年として洗脳されている私は「それは、天皇陛下にそむく国賊の言うことだ。きっと、神風が吹く。」といって、反論した。しかし、2、3日後に、この軍国少年の幻想は崩壊することになる。
これは精神的には、子供心に一生に影響を与える最大のショックであったのだろう。それ以来、イデオロギー的なものには、慎重になり、事実と自己の経験を重視し、付和雷同には気をつけるようになった。だから、バブルで皆浮かれていた頃、土地や株などには絶対手を出さなかった。この頃の軍国少年は、同じような精神的な経験を持っているだろう。

夏休みが終り、一同、自宅に戻った。父は「これからは、アメリカとソ連の戦争になるな。」と言っていた。