1.拉致問題
9月12日にフジテレビで、拉致問題の2時間テレビドラマを放映していた。
25年ほど前、警視庁担当の産経新聞の若い記者が、いくつかの若い男女の行方不明問題に、疑問を持った。そして、いろいろ取材して、拉致の疑いという記事を1980年にスクープとして出すが、世間も政界も業界も黙殺。本人は左遷同様になる。
ところが、この記事が、こともあろうに、産経新聞とは政治的な考えが逆な共産党の議員秘書の目に止まる。さらに、朝日テレビのディレクターも一方で、韓国の取材で、拉致の疑問を持つようなる。この3者が次第に連携を取りながら、拉致問題を明らかにしていく。
そして、2002年9月17日の日朝トップ会談で、北朝鮮が拉致の事実を認め、拉致された5人が帰ってくるまでになる。
この3人トリオの努力がなかったなら、拉致問題は、日本の歴史上では存在しなかったであろうという。
このテレビの最後のシーンは、3人が夜遅く、分かれるところである。長い年月を振り返り、何が、この長い年月の活動を動かしてきたのであろうとかと考え、「正義感とかそういう大げさなものではなかった。人間としてあるべきものは何かという感情であった。」というようなことを言っていた。そして、暗闇にそれぞれ消えていく。
この別れのシーンを見ながら、白黒のアメリカ名画「12人の怒れる男たち」の最後のシーンを連想した。この映画では、12人の陪審員のうち、疑問を持った一人の陪審員(ヘンリーフォンダ)以外、皆、最初、少年を有罪と考えていた。しかし、全員一致でないと有罪にならない。ヘンリーフォンダは、陪審員室の議論の中で、次第に、疑問を明らかにしていく。最初に、その疑念に賛成したのは、ある老人だけである。老人のほうが柔軟な思考を持っていた。そして、討議を通じ、次第に皆が、無罪に傾いていき、最終的に無罪決定となる。
映画の最後のシーンは、雨上がりの裁判所の玄関で、ヘンリーフォンダとこの老人のぎこちない挨拶と、そして、あっさりした分かれである。ヘンリーフォンダにも、この老人にも、無実な少年を救ったという気負いはない。明日からは、それぞれの別な平凡な人生がある。そういうあっさりとした別れであった。
2.「この人が父を殺したのです。」
中堅企業のA社のある重役B氏は、珍しい経歴の持ち主で、若いときは、ある有名地方紙の新聞記者であった。氏は大学を出て、新聞記者になった。そして、すぐに、ある市会議員の汚職をスクープする。新人記者のB氏は、正義感で鼻高々であった。ジャーナリストとしての将来は、洋々たるものであった。
ところが、この議員は自殺する。その通夜に、B氏が行ったら、その議員の幼い女の子が、B氏を指差し、「あなたが父を殺したのです。」と叫んだという。
B氏は、新聞社をやめた。数年間、気持ちがうつろで、どんな仕事も手につかなかったそうだ。毎年、その市会議員の命日には、ご焼香に訪問するが、冷たく扱われる。しかし、B氏の努力で多少のギスギスさは解消されていったようにみえた。
こうして、十数年たった。その間、B氏は、A社の社長に救われ、勤めるようになり、才能があるので今は重役までになった。
そんなある日、その市会議員の娘さんが結婚するということで、娘さんから招待状が来た。
B氏は出席した。しかし、B氏を紹介するとき、花嫁は「この人は、父を殺した人です。」と言ったという。
B氏は、これは、一種の和解であると解釈したようだが、依然として、心の底に残る重いものを感じたであろう。
人を救う記事もあるし、殺す記事もある。人生、いろいろである。
|