1.個性・平等
「バカの壁」の養老教授は、最近の「文芸春秋」の天才特集で、競争で1位、2位になるのが個性であると書いている。しかし、これを不平等だとして、幼稚園などで、手をつないでゴールインする例があるということを以前から聞いたことがある。
一方で、個性尊重を言いながら、一方で不平等を無くせというのは、矛盾することになる。
そこで、機会は平等にして、結果は不平等でも仕方がないということで、スタートとゴールを切り離し、この矛盾に決着をつけることになる。しかし、本当に機会の平等はありえるのか?
人は生まれたときに、人生の競争のスタートに立つが、子供に、親を選ぶ機会の平等はない。これは、人生最大の機会の不平等である。DNAの選択、文化の選択、皮膚の色の選択、親の収入の選択など不可能である。DNAは、まだ、現在の医学では、変更不可能である。すなわち、機会の平等と結果の不平等とはリンクしている。
だから、機会の平等と結果の不平等の切り離しも観念論でイデオロギーである。
男女の差別と平等も、気をつけないと、何を問題にしているのか分からないことがある。男が出産できないのは、不平等であるのか。それは男女の違いであるのだが、差別や不平等に結びつけると無理な議論になるケースがある。
個性尊重というが、個性は狂気であることもある。先の「文芸春秋」の天才特集でも、養老教授は、天才はマニュアックな面があるとしている。天才と狂人は紙一重である。脳の欠陥が原因のときもある。俳優のトムクルーズは、脳の後部がよく機能しない失読症である。しかし、ピカソもアインシュタインも失読症である。こういう不平等をもっていたが、結果として特別の才能を活かしている。
しかし、個性尊重は、マニュアックな殺人狂を増長する危険性もあるのではないか。
個性を育てるため、小学校が「ゆとり」教育となり、土曜が休みとなった。「ゆとり」という言葉からバラ色の教育をイメージする。しかし、昔の人は「小人閑居して不善をなす。」「普通の人は、ヒマになると、ろくなことをしない。」と言っていたが、健全な見方である。ゲームセンターで遊ぶ子供が増えたという。そして、1年半で「ゆとり」教育が見直されている。
2.不安・安心
今度の選挙で、年金問題で「安心」をさかんにスローガンで強調していた政党があった。しかし、もともと、「安心」を売り物にしたのが、共産主義である。失業のない社会、老後は安定した年金のある社会である。
マルクスは、失業などの社会不安をなくすために、共産主義という考えを打ち出す。具体的なシステムまでは打ち出していなかったが、国家を1つの工場として想定していたのであろう。ソ連では計画生産、計画経済となった。失業はない。
しかし、壮大な歴史的実験の結果は、ソ連の経済的崩壊である。失業覚悟の自由主義経済に競争で勝てず、経済が停滞し、年金制度も崩れた。
最近、グルジアの大統領が経済の停滞で退陣したが、このため、年金は崩壊状態である。
日本人もバブルで浮かれ、大きなムダを作り、年金も失業保険の貯金もかなり食いつぶした。その不良債権の数字もあいまいである。そういう官僚に対する「不安」もある。
経済以外に、天災の「不安」もある。東海、南海の大地震は、いつ、きてもおかしくないという。しかも大被害を予想されている。関東大震災も同様である。かって、ある大学教授が、仙台は地震が少ないということで、「安心」を求めて引っ越した。引っ越したら、すぐに、仙台の地震にあって、家が崩壊した。
また、犯罪増加の「不安」もある。犯罪は外国人などを含め、組織化、凶悪化している。
今までなかった農産物の大量の窃盗まで発生している。
人も社会も、明日は分からないのが宿命である。本質的に「安心」はない。だから、宗教は、すべて人生をバラ色としていない。仏教は、人生は四苦八苦としている。その覚悟の上の戦いが人生であろう。
何事も、ものごとをすべてバラ色に描くのでなく、その表裏をバランスよく判断できる感覚が必要であろうし、バラ色だけの「安心」説教にだまされない庶民感覚が必要だろう。
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