「バカの壁」とISO(H16年1月1週号)

昨年、11月頃と思うがテレビの3時間特集で、脳に関する話題を扱っていた。司会は古館一郎と大ベストセラーとなった「バカの壁」の養老教授である。ちなみに、古館一郎氏の脳は、ある部分が異常に大きいのだという。
番組は、大きく3つの実際の話題を取り上げていた。
1つは、脳に欠陥があるが、そのために天才的な記憶力や演算能力を持つ人の紹介である。
2つめは、幼児から十四年間、個室に押し込められ、外界との接触が一切なかった少女の復活と悲劇の実話である。
3つめは、外界との接触を絶って生活しているある原住民の生活描写である。

1つめの話では、この天才に任意の年月日を質問すると、即座にその曜日を当てる。脳に欠陥があるが、天才的な能力を発揮する。パソコンと競争するが、パソコンより早い。また、記憶力がすごい。厚い電話帳を読む。記憶しているのであろうか。学者が、まだ、いろいろ研究中であるが、その教授の話しによると、どうも、脳の「概念」を作る機能が欠落しているらしい。われわれは、幼児から成長するにつれ、「概念」とその記号である言語を学び、それを使って会話するようになる。だから、この天才は、見ていると明らかに会話がうまくない。語彙が乏しい感じである。いかに、われわれの会話や思考が「概念語」で行われているかが分かる。
この天才は、「概念」を失う代わりに、われわれ平凡人にない能力を発揮している。この「概念」がわれわれの一種の「バカの壁」となっているが、それがこの天才にはないのである。

われわれは「馬」という概念を持っている。しかし、現実に知覚する馬は、ある農家の馬であり、ある馬主の競争馬である。皆、個別である。「馬」は現実的に存在しない。「犬」「猫」みなそうである。この抽象的な言語で、われわれは、現実の複雑な知覚を「バカの壁」で脳から捨ててしまう。代わりに「不安定」な社会性を得る。

文化庁長官の河合隼雄氏は、愛用のコップ、茶碗、「きゅうす」などに名前をつけるという。そうすると「きゅうす」は抽象概念や同一性でなく、個別性を獲得する。愛着が生まれるから「きゅうす」の口が取れても、つけて修理する。修理だらけになる。このきゅうすの名前が「万事休す」とのこと。洒落にもなっている。

すでに亡くなったが、イギリスの有名な大衆小説家のサマセットモームは、若いとき、医学生であった。解剖の研修で教科書通りの構造の死体はなく、皆、個性があることを知る。その体験から、氏のどんでん返しの小説が展開される。われわれ読者が、例えば「神父」という概念で、彼の小説を読んでいると、突然、その神父が考えられない行動をとり、それがどんでん返しの結末になる。モームはわれわれの「バカの壁」を笑っているようだ。

最近、また、成田空港の土地の強制収用が裁判沙汰になっていたが、これは、聞くところによると、最初、国際空港をどこに作ろうかというときに、時の総理が千葉の地図に線をさっと引き、「これで行け。」と言ったという。そこに住む人の個別の生活感覚に対する配慮が、「地図で抽象化したバカの壁」で削除されていたのである。しかし、事実は、個々の生活は存在するので、過激左翼を巻き込んだ長期の反対闘争が起きる。
これと対比されるのは、畜産農家の多い土地に建設した鹿児島空港の場合である。県の畜産課長は、こまめに建設地の畜産農家を回り、各地域の長老と話し合い、理解してもらうように努力をした。個別対応である。したがって、トラブルなしで、空港は建設された。

「神は詳細に宿る」である。

仕事の改善は、徹底的な個別性から始まる。郵政公社がトヨタマンに改善を依頼したとき、トヨタマンは、いきなり、ストップウオッチを片手に、個別の仕事の時間を測定し始めたという。一般論からではない。
ある赤字工場を立て直したトヨタマンは、まず、8歩の作業を2歩にすることから始め、1年で黒字工場にした。
ドラッカーは、優秀なマネージャーは、今日の個別問題の解決も具体的にでき、かつ、長期的な展望と結び付けているという。戦術と戦略の一体化である。
よく、不適合の原因として、「うちはヒューマンエラーが多くて―――」ということがある。典型的な個別性の放棄である。改善はこれ以上、進まない。この「概念語」のバカの壁で不適合の多様な原因が消去される。改善は、この抽象性の「バカの壁」の破壊から始まる。
不適合対策も「注意する」「徹底する」「確認する」という抽象用語を使っていることがある。これは個別性の放棄である。しかし、現実は、個別に発生しているから、再発する。個別性放棄の「バカの壁」があることを示す。

コンビニでは、売れた商品の細かい種類まで、バーコードのITで集計し、知らせてくれる。しかし、男女、年齢、職業など、どういう人が買ったのか、データは削除されている。あるいは、データ化しても、男女、年齢など分類の抽象化で「バカの壁」がまた、できてしまう。限界がある。携帯電話での動画の伝送も多様な現場を抽象化することがある。
だから、現場を歩く経営者のほうが正確な情報を得ているということが未だにある。

工場で、不良統計をIT化でとることがある。しかし、例えば、キズ不良という統計は、使えない。実際のキズは、打痕キズ、カスリキズ、ひっかきキズなど、個性があり、原因も違う。これをさらに「外観不良」でくくると、なお使えないデータが迅速に集計できるだけだ。
IT化をして、どうも効果が思った通り出ないことがある。それは、データのもとがすでに抽象化した符号になっていて、生々しいデータが消えているからである。そのデータをいくら早く伝達し、迅速に集計して入手できても、効果的に使えない。
ある大きな工場で、機械の稼働率管理をするため、各機械にボタンをつけ、停止するたびに停止理由を4つに分け、現場でボタンを押すと、オンラインで管理部門に報告され、その日の作業の終了時には、稼働率が停止原因別に集計されるようになった。これで、現場長の稼動報告の必要性はなくなった。
しかし、過去からの稼働率の傾向を見ると、このオンライン装置をつける前のほうが稼働率はよかった。要するに、現場長の稼動報告のほうがはるかに多様な状態を把握しており、個別にきめ細かく対応していたのである。これがIT化でなくなったのである。

ISO9001で、品質マネジメントシステムだというと、すぐに文書作成をしろとか、文書に番号をつけろとか、画一化した発想になるのは、この「概念」からある画一的なパターンを想像し、それが「バカの壁」になっているからであろう。実際の企業は、共通点はあるが、最終的に個別である。個性がある。ISO9001は抽象的な概念規格だから、個別企業の個別性を無視しやすい。無視すると現実の個性との間に、成田空港のような闘争状態を企業内に引き起こすことになる。

機械の故障を予防するための、工場にある機械の始業点検リストも「異音なし」となっている。現実には、異常の兆候音は機械によって多様である。しかし、これが「異音なし」というバカの壁で抽象化して、今まで、現場のベテランが多様な音で対応していたノウハウが消える。問題の早期発見が遅れ、拡大しやすくなる。しかし、点検リストにきちんとチェックマークをつけいれば安心している。人命を失ったり、企業をつぶしたりしかねない、こわい「バカの壁」であることに気がつかない。

2004年は、昨年、爆発的にブームとなった「バカの壁」を一過性のものにせず、われわれの行動の反省に生かす年にしたいものである。