江戸ブーム(H16年2月2週号)

東京では、江戸4百年とかで、最近、江戸文化を復元したり、研究したりするような催しが多い。このようなブームは、時々あるらしい。しかし、それは不況のときに多いという。そういえば、江戸文化は上方文化に比較すると、貧乏臭い文化である。

江戸文化に詳しい杉浦日向子さんによると、京都、大阪、江戸は、五、三、一の関係にあるという。要するに上方のほうがバラエティに富んでいるという意味である。
衣服で言うと、京都は錦織のように五色がきらびやかで、大阪になると、歌舞伎の緞帳のような緑、黄、黒の三色を組み合わせになる。江戸の衣服は黒一色であったという。
食で言うと、京都は懐石料理である。品数が多い。大阪はきつねうどんに、そえものがある。江戸はそば、うどんなど単品である。
住で言うと、京都は、居間、仏間、台所、土間、寝所と五部屋、大阪は、仏間、台所、居間と三部屋である。
江戸の長屋は、小さな土間に一部屋である。それも四畳半である。仏間もない。四畳半に親子三人で寝ると、子供が夜中に土間に落ちるので紐で縛って寝たという話があるくらいだという。仏間がないのは、死ぬと大家が葬式を出し、墓は大家の寺で無縁仏となるからである。台所もないのは、江戸時代は長屋の人は外食であったからだ。そういう意味で、江戸の長屋は寝るだけであり、江戸の都市空間が住居空間になっていたことになる。
銭湯も江戸文化であろうか。日本の都市では、庶民の家ごとに風呂ができるようになったのは、戦後の高度成長時代からであろう。

長屋は落語の舞台である。長屋には家具を置くほどのスペースはないが、桂文楽の十八番の1つである「富久」では、一人暮らしで長屋に住んでいる幇間が、おみくじを買い、神棚にしまって祈るという話がある。神棚くらいはあったのであろうが、これは部屋の上にある。この落語は、ひいきの旦那の近所で火事があり、避難の手伝いに行くが、旦那の家は燃えないですんだとうことから始まる。そこで、旦那の家で酒を飲んで寝てしまう。その間に、逆に自分の長屋が燃えてしまう。旦那のやっかいになる。買った富くじの抽選発表会があり、自分の富くじが当たる。しかし、神棚に入れたままだから火事で燃えている。悲しんでいたら、その神棚だけ長屋の人が持ち出してくれていたという話である。

江戸は火事が多かったが長屋の住人は借家住まいだから、大家が困るだけで、むしろ、建てかえるので、新居歓迎であり、家を建てるための職人の仕事が増える。
火消しは、最初は、武家の仕事であったのを、経費節減のため、徳川吉宗が享保の改革で民営化した。その後、勇ましい火消しが活躍するようになる。