養老教授が「徹子の部屋」に出演していた。「個性はすでにあるもので、大人がすることはよい個性は、それを押さえつけないように障害を除くことである。」と言っていた。
たまたま、wowowで、「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」という1997年のアメリカ映画を見た。スラム街のある孤児の若者が、数学では天才的な能力を持っているが、本人はスラム街の友達と土木工事の作業で満足している。夜はスラム街で友達と悪いことばかりしている。天才の能力が、知的な犯罪に向けられる恐れがあった。
数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞受賞者のある大学の数学教授が彼のその才能を見出す。彼の解けない難問まで、この若い天才はすらすら解く。その才能を活かそうとするが、本人は望まない。何人かの精神科医に頼むが成功しない。そして、ついにあるスラム街上がりの精神科医がこれに挑戦する。
あるとき、その天才が土木工事の休憩時に、兄貴株の若者と会話をする。天才の若者は「もう、20年たったなら、俺はこの街で楽しい家庭生活を楽しんでいるだろう。」という。ところがその兄貴分は「俺自身はそうなろうと思っているが、もし、お前がそうなったなら、俺はお前を殺す。誰でも欲しいと思っている300万分の1の確率の宝くじの当り券(天才的な能力)をお前は持っている。しかし、それを現金にしないお前に疑問を持っている。俺は、毎朝、お前を仕事に迎えを行くとき、ドアをノックするが、いつか、お前が旅に出て、ノックの返事がかえってこない時が来ると、一方では、思っている。」と言う。
精神科医は、彼がその才能をのばそうとしない心理的な障害を取り除くことに成功する。そして、天才は新たな旅に出る。土木工事の兄貴分がある日、その天才の男の部屋をノックする。しかし、返事はない。彼は、うなずきながら去る。
人は生まれついて個性がある。保育園の先生になると、最初、子供の多様性に驚くであろう。個性に満ちている。
しかし、やりたい放題では、社会が成り立たない。そこで「しつけ」である。しかし、英語の教育はeducationで、日本でいう啓発に近い。「しつけ」は、訓練trainingである。
ISO9000では、品質を安定するために、関連する要員にtrainingを要求しているが、これを日本訳のときに、「教育・訓練」とした。これが後に大きな誤解を生んだ。何故、訓練だけにしなかったかというと、犬の訓練を連想するからだという。
しかし、「しつけ」はまさに、犬の訓練と同じである。社会的なルールを守らないとお互いの安全を脅かすまでになる。それを体得するのが訓練である。だから、トヨタは訓練と教育を明確に分けている。5Sの最後のSは「しつけ:shitsuke」であり、訓練である。
英国人は、幼児は人でないと思っているという。自由奔放な動物と思っている。だから、「しつけ」trainingが厳しい。犬の訓練と同じである。日本人は、子供は天からの授かりものだと大事にするというが、しかし、戦前の日本人は「しつけ」はきちんといていた。
私も食事の仕方は、ご飯は左、味噌汁は右で、そして、一口、味噌汁に箸とともに口をつけ、それからご飯を食べるなど、厳しい母ではなかったが基本的な「しつけ」は子供のときに受けた。
しかし、「しつけ」を効果的にするには、ほめたり、すかしたりする。ときには、体罰でしつける方法もあろう。英米人は体罰で尻を叩く。いずれにせよ、辛抱と工夫がいる。
戦後の教育の流れを見ると、この訓練(しつけ)と、個性の障害を除く教育の混同が「バカの壁」のようにあるようだ。もともと学校に行くというのは、基本的な社会の「しつけ」のためである。強制である。箸の持ち方は訓練である。動物をかわいがるのも訓練である。放任すれば動物を殺すのに快感を覚える「個性ある」子供がそのまま、成人するかもしれない。それでは、他人が困るのである。放任すると成人式で、子供じみた暴行をするまでになる。
個性の放任でなく、規制が学校教育や家庭教育の基本である。だから、独裁者は学校教育(訓練)を重視する。そうだからといって、基本的なよい「しつけ」まで、反動的に放棄することは「バカの壁」である。
最近、墓場で2、3人の若者が女性を殺した事件の詳細が明らかになった。残忍な手口である。衝動的に人を「個性のまま」殺す。戦後教育の強制の欠如を象徴的に示しているようだ。これは、すべて、「しつけ」trainingという教育の個性を抑制するという側面の重要性を軽視した結果からであろう。
養老教授が言うように、個性を伸ばし、かつ、しつけをするということは、辛抱のいることである。工夫のいることである。最近は、「辛抱」がなくなったと同教授は言う。
それは都市化のせいであろう。農産物を作るには辛抱がいる。しかし、都会の人は、スーパーで簡単に、辛抱なしで、野菜が手に入る。しかし、子供のシツケと教育は、相矛盾することを行うことでもあるし、子供という自然相手だから、辛抱のいることである。
辛抱できないから、自分の子供でも殺す。すぐ、切れる。
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