「バカの壁」の養老教授が解剖学を選択したのは、同教授の戦争体験からきているという。同教授は、小学生時代に敗戦を迎え、それまで、日本は勝つと言っていた先生が、百八十度、変身したことを目の当たりに見た体験を持つ。大人不信でのトラウマである。教科書を墨で塗った記憶が鮮明であるという。その幼い経験が、医学の道を選択するとき、死体解剖を選んだという。死体は、静止していて変わらない。生きた人間は、勝手に変化する。
私は、養老教授より5つ年上であるが、やはり、戦後のこのトラウマ体験が、職業選択に影響しているようだ。経営コンサルタントとして専門を選択するときに、製造コンサルタントに専門化するようにした。営業問題はできるだけさけた。それは、市場予測は当てにならないからである。ゲームの場である。それに対して、製造の改善は、計画的にできるし、成果も正確に計算し、予測できる。
昭和48年頃と思うが、ある製造業から改善コンサルティング依頼がきた。販売と製造の改善テーマであった。同僚のコンサルタントのA氏は販売の専門であったので営業部門の改善を担当し、製造部門は私が担当した。当時は、ベトナム戦争特需で日本経済はブームであった。
A氏は、経済企画庁の資料から、この会社の売上の伸びと日本の設備投資額の伸びが比例して上昇しているので、経済企画庁の設備投資の長期見通しを用い、2、3年先のその会社の成長見通しを社長に示した。
そのとき、社長は、「本当に、この予測は当るかね。」と疑問を呈した。この社長は、ときどき、ある有名な占い師に来てもらい、将来を予測していた。
一方、私は製造の立場であった。最初、受注増で生産要求が増大し、受注残が急増していた。そこで、当座、外注の拡大を提案した。その提案で外注の拡大検討が進んでいた。そのとき、中近東の戦争がはじまった。これが後にオイルショックの引き金となる。すぐに、受注残を調べ、キャンセルが始まったことに気がついた。また、新規受注が減ってきた。私は直ちに外注拡大を停止するように提言した。会社側は、急の提案の変更に驚いたようであるが、データを示して説得した。それから、数ヶ月経たないうちに、オイルショックによる不況が来た。A氏の予測は完全に崩壊し、私の先手で過剰在庫は防止できた。
実は、私は、コンサルタントになる前、サラリーマン時代に昭和37年の不況を経験している。戦後の高度成長は、単純な成長でなかったのである。
この不況のとき、生産管理をしており外注の引き揚げをした経験が、このコンサルのときに役立った。生産管理という仕事は、先を見ないといけない。だから、生産増大のときはこれがいつまで続くとは考えない。生産減少のときのカードを考える。逆に、生産減のときは生産増加のカードをひそかに持っていないといけない。現実は常に変化するという敗戦のトラウマ体験の影響が底にあったのであろうか。
後に、「売れるだけつくり、売れないものは作らない。」というトヨタ生産方式の底にある考えに接しても違和感はなかった。トヨタも戦後に破産寸前を経験したトラウマがある。
オウム真理教・サリン事件の犯人の一人である林郁夫は、心臓外科のエリート医師であった。真面目な医師であった林郁夫は、ガンであることを患者に隠し、ウソを言う自信がなかった。そこで彼は心臓にはガンがないので心臓外科を選んだという。この生真面目さが後にオウム真理教に溺れる1つの原因となったようだ。彼らの世代には、絶対的なものを信ずるという危険性について、成長期にトラウマ体験がなかったのだろう。
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