袋井と原信太郎氏
(H16年7月4週号)

東海道新幹線の掛川から在来線に乗り換えて、浜松に向かって行くと2駅目が袋井である。
駅の出口は、片方しかない。
ここは、十数年位前に近くの会社に何回も来たことがあるので、よく乗り降りした。
最近、また、別の近くの会社に来るようになり、また、乗り降りをするようになった。

袋井というと思い出すのが、原信太郎氏のことである。それは1996年の日経ビジネスの巻頭言:有訓無訓に「組織に頼らず、自己流を貫け」という氏の次の談話からの連想である。

太平洋戦争で日本が負けると思った原氏は、東京の住宅などの資産を処分し、得た金の大部分をドル(当時は、闇ルートは100円で17ドルとのこと)に換え、静岡県袋井市に逃げた。ここを選んだのは東京が破壊されても中心地であり続けるだろうという予測と、海岸から距離があるので米軍が上陸しても逃げられるという2つの理由であったという。
敗戦となって、円は急落した。氏は、大きな資産を得たことになる。この発想が奇抜なので、切り抜いて持っている。

戦争が始まる前、氏は、日米が開戦したら、日本は負けると言った。そうしたら、クラスの全員から殴られたという。負けるという確信は、氏が持っていた国産車の車検整備を自分でやるため、整備工場に行ったとき、たまたま、フォードのエンジンを見て、その技術水準の高さに驚いたからであるという。潤滑油の差も歴然としていた。
こういう技術水準の国と、戦争しても負けると思わざるを得なかったのである。精神論では近代戦は勝てないからである。

戦後は、奥さんの父親が創業者であるコクヨの初任給が7千円なのに、闇で月30万円稼いでいたという。働くことは嫌いで、人生は遊んで楽しく暮らすという人生観を貫いた人である。日経ビジネスに掲載された96年当時は、コクヨの専務を辞め、「原総合知的通信システム基金理事長」となっていた。
それ以来、10年ほどたった。袋井で氏を思い出したので、ご健在であるのか、インターネットで索引したら、Slownetの「いきいき大人見聞録」に4回シリーズのインタビューで登場されていた。その知的な多趣味はものすごい。まさに自由人である。そのせいか、今、84歳なのに、視力は両眼1.5、階段も2段とびであるという。特に健康法をしていないというが、これだけ、知的に自由奔放に人生を送ってきたら、ネガティブなストレスは皆無であろう。

袋井は、東海大地震を予想される東海地方の一地域である。海岸からは離れているので、津波の被害はないであろうが、地盤が弱い。原氏は、それを予測して、袋井を去ったのか、今も住んでおられるのかは、知らない。