| 私は、十年位前に栃木県下都賀郡にある壬生(みぶ)町に仕事で行っていたことがあるが、ここが新撰組の壬生と関係があると思いこんでいた。したがって、幕末に京都で活躍した近藤勇や土方歳三は、この辺の農民の出身と思っていた。しかし、これは誤解で、壬生は京都・壬生村のことで、新撰組がいたところであるのを最近の新撰組ブームで知った。実際、近藤は現在の東京都調布市、土方は日野市の生まれである。そして、また、私は彼らは幕末のテロ集団であるという見方をしていた。
作家浅田次郎は、新撰組で「壬生義士伝」を書いているが、氏も、最初は、新撰組はテロ集団という先入観を持っていたが、高校時代に、子母沢寛の「新撰組始末記」を読んで、その先入観が間違っていたことを知り、それから新撰組のファンになったという。この「新撰組始末記」は小説でなく、ドキュメンタリーである。発刊は昭和三年であるので、明治維新は近く、まだ、生存していた関係者への直接のインタビューもあるという。
近藤勇は、剣の道は一流であったらしく、有名な「池田屋騒動」のときは、池田屋旅館の二階にいた約二十名の浪士に、近藤勇と沖田総司の二名で階段をかけあがり襲いかかる。沖田も免許皆伝の腕前である。しかし、途中で、沖田は肺結核の症状が出て、吐血して、戦えなくなるので、まさに、近藤一人の戦いがメインとなったようだ。
その点で、近藤勇は、幕府を助けるというより、自己の剣術の流派の宣伝にこだわっていたようだ。したがって、池田屋騒動はそれがあたり、これで近藤勇と新撰組は一躍有名になる。悲劇的なのは、近藤勇はそれ以後、長州との戦いで、右手を負傷したため、右手が不自由になったことである。剣術家にとっては致命傷であったといえる。
浅田次郎の幕末の見方は独特で、日常経済という観点から見ている。薩長が明治維新で活躍できたのは、経済的に行き詰まっていた幕末で、両藩とも不良債権を棚上げして、経済改革に成功し、その経済力で明治維新をリードできたからだという。
小説上の歴史上の人物で、「どのようにして生活費用にかかる金を得ていたのか。」という説明が少ない。流浪の剣士、宮本武蔵は、どのようにして生活費を得ていたのか、松尾芭蕉は、その長期旅行の費用はどのように調達したのか、などである。座頭市は、賭博で勝って金を得ていたのであろう。「子連れ狼」の拝一刀は、刺客による収入であろう。その点、浅田次郎の幕末小説は、日常的な視点で書かれているようである。俗に言う「下世話に通じた」小説である。
幕末や明治維新は、昔のようであるが、歴史的には、まだ、百三十年くらい前のことである。浅田次郎の曽祖父が生まれた年に、土方歳三が戦死したそうである。浅田次郎は、その曽祖父に子供のときに抱かれたことがあるという。明治は近いのである。
日本は、チョンマゲがなくなった明治維新以来、歴史上、百三十年の間、欧米の歴史に見られないものすごいスピードで変わってきた。そのためか、浅田次郎がいうように、我々は、その間のことについて、きちんとした勉強をしていないように思う。
こないだテレビを見ていたら、石原都知事が第2次大戦で撃墜王といわれた老パイロットの人の話をしていた。それは、そのパイロットが電車に乗っていたときの話しである。偶然、そのパイロットの横に大学生らしい2人が話しをしていた。なんとなく聞いていたら、一人が「日本はアメリカと戦争したことがあるそうだ。」と言ったら、もう一人が、「それはウソだろう。」と言っていたという。その大学生らしい二人の会話を聞いて、その老パイロットは愕然としたという。
同席していた、評論家の桜井女史は、「歴史教育は、家庭でも、まず、両親の時代、祖父母の時代、曽祖父母の時代とさかのぼるべきである。」といっていた。なるほど、そうすれば、子供は身近に歴史を知り、今の世界を正確に理解するであろう。
欧米では、そのような家族史を古い写真などを使い家庭で語り伝えるという。
作家の阿川弘之氏が、いつか、渋谷のギャルが「私たちに昭和の歴史など関係ない。」と言っていたのを聞いて「太平洋戦争で本土決戦を回避できなかったなら、彼女らの親は生まれていないから、彼女らもこの世には存在していない。」と言っていたことがある。
戦後、日本は、過去を捨ててしまった。一般的に歴史感覚が欠如してしまったようだ。
|