プロ野球
(H16年10月1週号)

日本のプロ野球の労使のトラブルも、一段落したが、これからが構造改革で大変である。
今回のトラブルで、プロ野球の存在理由の原点を考える機会を与えてくれた。考えてみると、長い間の野球ファンとして、そういう問題に真剣に考えたことはなかった。ファンとしても「ぬるま湯」に漬かっていたのである。こわいものである。
今回のトラブルを機会にマスコミでも、いろいろな専門家やファンの意見が発表されるようになった。世論調査も行われた。その世論に押された形で、かなりのどんでん返しの結果になった。
「たかが野球、されど野球」と言った人がいる。確かに、生きていくための衣食住に直接関係がないが、他の娯楽と同じで、人が生きていくための励ましとなり、慰めとなる。そうでないと、人生は殺伐としたものになるであろう。人は遊びがあるから、仕事に励みとなるのであろう。中には、仕事を放り出し、熱中する人もいるが、それもその人にとっては生きがいなのであろう。

昨年、阪神が優勝すると、虚業の星野監督が、実業のビジネス雑誌にもさかんに登場した。リーダーシップという観点から、ビジネスでも何かの参考になるのであろう。

日本のプロ野球世代で、今の中年の人は、若いときに、王・長島世代のプロ野球に熱中したのであろう。それは、ある人にとっては、人生の励みであったのであろう。
私は、それより前のプロ野球ファンで、巨人では、川上、千葉、青田などの時代である。

戦後、軍国少年として放り出された私たち世代には、野球はなかった。今のように、それを教えてくれる人やシステムはなかった。
しかし、今から考えると不思議なことに、子供の頃、自然に遊び仲間と草野球をしていた。プロ野球もまだなかった頃だ。
本好きの私は、古本屋で戦前の野球の本もさがし、そこでベールルースなどのアメリカ野球を知った。火の玉投手というボップフェラーの大きなワインドアップを真似て投げた。それを知らない友達は、変な投げ方だと笑った。皆、試行錯誤であった。

そのうちに、プロ野球が地方にも来て、はじめて目の前にプロ野球選手の動きを見た。その守備の華麗さ、投手の球の速さ、ホームランなどに、新鮮な感激を覚えたものである。
NHKで、プロ野球70年史をやっているが、振り返れば、プロ野球の歴史が、私たち世代の人生の一部になっている。

今年、巨人が史上最高の強力打線と言われながら、優勝を逸した。プロ野球は虚業であるが、落合野球のやり方は人に慰めや教訓を与える。世間話しの種にもなる。立派なエンターテイメントである。縮小しないで欲しいものである。