生まれか育ちか
(H16年11月3週号)

ベストセラー「バカの壁」の養老教授は、いとも簡単に「基本的な寿命はすでに生まれたときに遺伝子DNAで決まっている」とそっけなく言い切る。後は、運命的な事故で決まるが、これは確定できない。しかし、事故にあいやすいという遺伝子はあるかもしれない。これは、一部のヒューマニストや平等論者にとっては、耐えられないであろう。何故なら、人は生まれたときからどうしようもない差別があるというのだから。

子どもの性格や行動特性はどうであろうか。最近、NHKブックスで「人間の本性を考える(英語の題名はThe Blank slate)」という翻訳書が出た(原書は2年前発刊)。その20章中、「生まれか育ちか(原書はChildren)」について論じた1項目があって興味深かった。

著者は、次の3法則を提示している。

第1法則:人間の行動特性はすべて遺伝である。
第2法則:同じ家庭環境で育った影響は、遺伝子の影響より少ない。
第3法則:複雑な人間の行動特性に見られるばらつきのかなりの部分は、遺伝子や家庭の影響では説明されない。

著者は、こどものときの行動特性の50パーセントは第1法則の遺伝できまり、第2法則の育ちの中心である家庭環境はほとんど関係ないという(せいぜい、ゆずって10パーセント)。後の40から50パーセントのばらつきは、人が意図的に押し付けられない、個人的な「運命(親や人が制御できない運という意味での運命)」に影響されるという。親や社会が十分ねりあげた計画の及ばないところにある部分である。
1950年代に、インドの僻地の村に住んでいたある女性に、子どもにどんな人間になってもらいたいと思っているかと聞いた。彼女は、肩をすくめて「それはこの子の運命で、私が望むことではありません」と答えたという。

原題のBlank slateとは、「書き込みのない石板」という意味で、日本語の「白紙」という意味になろう。これを「生まれか育ちか」にあてはめると、子供は生まれたとき、白紙だから、後はこれに書き込む育ちで決まるということになる。親の責任が重くなる。そこで、多くの児童教育論者が生まれる。
しかし、著者は、「白紙」ではなく、遺伝子でほとんど決まるとしている。子供が非行に走るのは親の責任ではない。著書は、親のせいにする児童教育論者には、批判的である。
新聞書評では、この本で、子育てで責任を感じて、いろいろ悩んでいる親はホッとするだろうと言っている。あまり、力まないことであろう。

この翻訳は読みにくいところが多い。
例えば、「愛情深い子どもの親は愛情を返すであろう。」の原文は「The parents of an affectionate child may return that affection」である。愛情があるのは、こどもだし、returnの主語は、その親だから、これは「愛情が深い子どもに対して、親はその愛情を子どもに返すこともあろう。」と読まないと、前後の文脈が合わないのではないか。この場合、親子の相互作用は、家庭環境問題でなく、親子の遺伝子の影響であろうか。