揚子江の上流の成都近くに楽山という都市があり、この近くの揚子江岸に、高さ71メートルとい世界最大の大石仏がある。
私は、大きな石仏が好きで、十数年前、2大石窟(雲コウ、龍門)の観光がある中国ツアーに参加したことがある。中国の石窟は3大石窟として、もう1つ、敦煌の石窟があるが、これは、かなり離れた場所にあるのでシルクロードのツアーに含まれる。しかし、楽山の大仏の観光ツアーはないようだ。楽山の石仏は、3大石窟の石仏よりはるかに大きく、奈良大仏の数倍あるという。
楽山の大仏を知ったのは、10年ほど前のTBSテレビの日曜特集「世界7不思議の旅」を見たからである。これはビデオにとった。このときは、顔が大きく写されており、胴体は改修中で、10年の計画だという。もう、10年たったから、改修が終わり、全体像が見えるようになったであろうか。
この大仏建立は、海通和尚の力である。しかし、この人の記録はほとんどなく、なぞが多い。時代は日本の奈良時代である。海通和尚は、若いときに、大仏をこの地に作ることを思い立ち、托鉢して、資金を得る。今の金にして、4億円くらいであったという。
この大仏があるところは、揚子江にいくつかの川が合流するところで、川底がえぐられて、水流が渦を巻き、水難事故が多かったらしい。海通和尚は、大仏建立のため、この合流点に大仏建立の場所を選び、山肌の土を、この川底に埋め、水流も変えた。それ以来、水難事故も減少したという。
あるとき、この地の役人が来て、海通和尚に賄賂を要求した。従わないと、工事は中止である。海通和尚には、それはできない。代わりに自分の目玉をさし上げるといって、自ら目をえぐってさしだしたという。金が集まるところに、役人がむらがるのは、今の郵貯や年金と同じである。
司馬遼太郎は、欧米と違い、中国・韓国のアジアには、「おおやけ:公」という意識が伝統的になく、官僚は個人やその家族の利益を国益より優先するという。そういうパラダイムがある。明治維新の日本官僚は、その点、日本が植民地化される危機感から「公」を優先したが、大正、昭和になると軍をはじめとする官僚は、自分の出世を優先した。そして、司馬遼太郎をして「なんでこんなバカな戦争をしたのであろうか。」という戦争をする。その結果が敗戦で、国が破産し、多くの国民が被害をこうむった。
司馬遼太郎は、戦後、完全に敗退したノモンハン事件のときの参謀に会って、数時間、話を聞いたが、饒舌であったが、中身は空虚でパラダイムの違いを知ったという。
最近の特殊法人への天下りや郵貯、年金の無駄使いは、国益や国民の利益よりも自己や仲間の利益を優先する官僚が行なったことになる。これだけ、マスコミで騒がれても、彼らには、その行動を正当化するパラダイムがある。司馬遼太郎は、税金や年金を食い物にする官僚の自己利益拡大のパラダイムのために、また、太平洋戦争のように「国民の犠牲で、なんでこんなバカな税金や年金の使いかたをしたのか。」とあの世で嘆いているであろう。 |