年賀状による挨拶の廃止論
(H16年12月4週号)

2ヶ月ほど前、大学の同窓会が開かれ、そこで、今後、定年で暇が増え、お互い同窓会で会う機会が増えるので、同窓会同志の間での年賀状はやめようという意見が一致したという。私は、仕事の都合で出席できなかったが、欠席者にはメールで連絡が来た。

それに対して、一人の欠席者から反対の意見が同窓会員に次のようにイーメールで来た。

「年賀状の件ですが、私は毎年『1年の締めくくりの年史』のような賀状を続けていますので、廃止はしません。
ましてや、年賀状の廃止を皆で申し合わせようとは何と意気地の無いことですか嘆かわしい。虚礼廃止については、よく通達とか事務連絡で若い頃に見ましたが、この歳になって虚礼などとっくの昔に必要なくなっていたのでは無いですか。
頭のボケ防止も兼ねて、『年に一度ぐらい出したい奴にだす』ぐらいの気持ちを持って下さい。」

彼の年賀状は変わっていて、過ぎた1年の自己の活動を詳しく書いてある。しかし、これも彼の個人生活に興味がある人でないと、読まないから、出す先も限られるであろう。

このメールを受けて、年賀状廃止論者からまた、反論が来た。

「貴方の年賀状は、毎年、楽しく拝見しておりますし、いただくのは、ありがたいと思いますので、是非お送りください。しかし、そのような年賀はまことにまれなのです。皆で申し合わせの必要はないのですが、小生はいただかなくて良いし、ご返信もしないとの意思をお伝えしたのです。
小生の場合、年賀状は毎年250枚程度になり、毎年増加しております。いただいたものを虚礼というつもりはありませんが、中には律義に10年以上も年賀状のみの方も大勢おられ、また、思い出せない方もいるのです。このため、毎年、年末に3日ほど、新年には、5日までは作成と、住所録整理、発受信のチェックなどに連日数時間の時間を費やしているのです。無駄な紙の浪費(環境に悪影響)、官僚のムダ使い(税金の負担増)は問題です。
社会活動から隠退した今、現役の人々が引退者に余計な気を使わず、社会に貢献することに注力してもらいたいし、個人としては、残された時間のなかで、ゆったりした正月を過ごしたいと思うからです。
小生が関係しているグループのメンバーにも同様な提案をしておりますが、年度内には50枚程度はださざるを得ないかとおもっております。このため、今年もいただいた賀状への返信にかなり時間がとられるようなことになると予想しております。
とまあそんなことですが、ただ、ものぐさになってしまったのかもしれません。」

年賀状も虚礼である。文化人類学では、原始人の儀式の機能分析をするが、虚礼なようで実は、実生活の上で、重要な意味を持っていることを知ることが多いようだ。

年賀状は、この20年くらいの間に、広大な市場を作った。郵政公社の収入にも貢献し、パソコンソフトも作られ、大量に印刷で書くことができるようになった。選挙の宣伝のようにばら撒かれるものもある。

戦後の1つの意味ある文化となりつつあるのか、それとも長い目で見ると、一時的なブームで、次第にさめていくのであろうか。