ライブドア問題の岡目八目
(H17年3月5週号)

3月21日号の日経ビジネスでは、ライブドアとフジテレビ・ニッポン放送と楽天の関係記事が出ていたが、ついに、最後は、ソフトバンクが登場した。

昨年、話題をにぎわしたプロ野球問題も、ライブドアが火をつけたが、楽天に新球団をとられ、最終的に、ソフトバンクがダイエイを買収し、一番得な買い物をした。
今回も、ソフトバンク系がまた、最後に、漁夫の利を得た感じである。

しかし、フジテレビやニッポン放送の経営幹部や社員が、何か、専制君主の到来のように堀江社長の像を描き、その経営参加を反対しているのは、どうも異常である。勝手にそういうイメージを作り、勝手に被害者意識を作り出しているようだ。
それは、プロ野球問題のときも、堀江氏は「ネクタイもしないわけのわからん若造」というだけで反対ムードが既存勢力にあったのと似ている。
反面、彼が非常に新鮮なアイデアでニッポン放送やフジテレビの価値を高める可能性もあるはずである。大人なら自分にない新鮮な見方を重視するのではないか。道元禅師は、「たとえ、7歳の童子であろうと、優れたものを持っていれば、こちらが百歳でもひれ伏して、教えを請う。」と言っている。

しかし、堀江氏もそのスタイルで損をしている点が多い。
この点、プロ野球のときの楽天のやり方は、既存勢力をうまく取り込み、巧妙である。

今回、放送の公共性という話が出たが、田原総一郎が、朝日新聞に書いていたように、バラエティだらけのテレビ放送がこういうときに、公共性を大声で言い出すのは、大人の感覚でないように感じる。かって、評論家の大宅荘一氏が、テレビを評して「一億総白痴化」と言ったではないか。公共性をいうなら、少し、遠慮がちに言うなら奥床しいのだが。

企業は誰のものかという議論で、株主だけのものではないという意見は、日本人にはなじめない見方であろう。日本の資本主義は特殊で、株主資本主義でなく、法人資本主義であるというのは常識になっていたはずである。西武が堤商店であったのがそれを示す。

しかし、もともと、資本主義社会では、創始者が株で金を集め、会社を起こし、人を集める。株主は、投資した資金の効率的な運用を求める。だから、会社は株主のものであり、経営者は、会社を成功させ、株主に配当できるように、働く人にも働きやすくするのであり、そのためには、あるときには専門の経営者を雇うのである。

最近、アメリカの有名な大手の女性経営者が、一時は、女性では最高の経営者と言われたが、ちょっと、業績が低下したら、簡単に解任された。これが、株主資本主義である。

しかし、企業が大きくなると、その動きは社会性を帯びてくる。そこで、社会責任などという問題が出てくる。それは、株主資本主義だから、行き過ぎを防止するためである。