本州から四国への架橋が3本できて、ムダではないかという議論が行われ、道路公団民営化のきっかけの1つとなったようだ。
この3つのうち、中央にある倉敷から坂出までの高速道路は、できてからすぐに乗用車に同乗して渡ったことがある。あっという間に坂出に着き、ユーターンして帰ってきた。高い高速料金をとられただけであった。
5月の連休明けに、尾道から今治に渡る西側の四国架橋(しまなみ海道)をマイクロバスに同乗して走った。この高速道路は、途中、6つの大きな島を渡るので、経済的、文化的にそれなりに意味があるという印象を受けた。道路から見る島々の風景がすばらしい。
今回は、四国の今治に渡るのが目的でなく、目的は生口島の耕三寺を訪れることであった。ついでに、もう一つ先の大三島に足を伸ばし、ここの大山祇神社を見ることにした。順序は、こちらを先にし、ユーターンし耕三寺は帰路にした。
大山祇神社には、拝殿に向う正面に巨大な楠木がある。樹齢3千年であるという。天然記念物に指定されている。境内に国宝館があり、鎧や刀剣が多くユニークである。刀剣は鎌倉時代のものが多いが、その長さには驚いた。相当な重量である。
鎧には、源義経が寄贈したものがあり、案内書には、壇ノ浦で八艘飛びをしたときの鎧だというから、平家を滅亡させてから、帰途に、この神社に立ち寄り、戦勝記念に寄贈したものであろう。
水上戦に不得意な源義経が短期間に、瀬戸内海を転々として逃げていく平家を、迅速に追いかけることができたのは、当時の瀬戸内海の伊予水軍の長である河野氏の協力によるところが多い。国宝館には、その河野一族が寄贈した鎧もあった。
今、NHK大河ドラマで源義経をやっている。もっと宣伝すればよいのにと思った。
河野通信は、頼朝と義経が対立したとき、頼朝側につくが、その後、頼朝と朝廷が対立したとき、朝廷側についたため、最後は義経同様、奥州平泉に流されて死亡する。
通信の孫が一遍上人である。神奈川の藤沢の近くに同上人を開祖とする遊行寺がある。国道一号線の遊行寺坂は、毎年、箱根駅伝で登場する。瀬戸内海と神奈川がつながる。
大三島からもどり、生口島に行く。耕三寺は日光を模したものであろう。色鮮やかである。色を塗り替えている建物もあった。メンテが大変であろう。寺の裏手に大理石だけの丘がある。エレベーターまである。丘全体が大理石だけの彫刻になっている。「未来心の丘」という作品である。全部大理石だから、当日晴天のため、目がくらむほどの明るさであった。
帰りにすぐ近くの静かで広大で平屋建ての「平山郁夫美術館」に寄る。平山郁夫氏は、この生口島の出身である。
このように、このルートは、文化的にも意味のあるルートであると思った。
しかし、各島へのインターの道路は、ぐるぐる回りでせっかくの景観に合わない。何か、いい工夫はなかったのであろうか。
残りの淡路島経由の架橋は渡る予定はない。しかし、これらの道路も談合があったのであろうか。 |