| 作家多田容子氏は、今年34才、京都大学時代から時代小説を書き始めたという。柳生新陰流をやり、居合道3段で手裏剣もやるという。武術研究家甲野善記氏との対談集「武術の創造力」がある。甲野氏の話は、かなり専門的な内容で、かつ、体験で理解しないと分からない内容が多い。これに対して多田氏は、作家らしく、これを分かりやすく説明しながらの対談となっている。
すでにいくつかの小説を刊行しているが、この「月下妙剣」は今年の作である。この小説の主人公は柳生十兵衛である。背景は、3代将軍徳川家光と弟徳川忠長の不和である。忠長は一時駿河城主で、駿河大納言と言われたが、乱行の故に、高崎城に幽閉され、最後に自害する。この小説は、この自害の史実を舞台にして、十兵衛の隠密的な行動を描く。
柳生十兵衛は、将軍家光との間がよくなく、柳生に引き込むが、実は、幕府の隠密の命を受けたというのだという説に基づく小説が多い。この小説もそれである。
甲野氏との対談によると、刀というものは奥が深い。日本語に「鎬(しのぎ)を削る」とか「切羽(せっぱ)つまって」とかいう言い方があるが、刀の知識がないと意味が分からない。「鎬」も「切羽」も刀の部分名であり、それぞれの機能があるからだ。
鎌倉時代の刀を展示館で見たことがあるが随分長い。だから、当時、刀は腰にささず、紐で肩からつるしていたという。NHKの「義経」をそういう目で見るとなるほどと思った。宮本武蔵と最後の試合をした佐々木小次郎の刀は、物干し竿といわれる長刀なので背中に担いでいた。
甲野氏は刀に詳しいので、資料に詳しい司馬遼太郎にすら小説の刀についての文章に間違いがあると、その部分を指摘する。時代小説の大家海音寺潮五郎は、日本刀の話を小説に入れると専門家に文句を付けられるので、刀にふれないほうが無難であると言っていた。
日本刀の権威の岩崎航介氏(1967年64才没)は、晩年、1年1回研いだだけで、千人の人のヒゲを剃ってもなお余力を残していたすごいカミソリを日本刀と同じ材料で作った。だから、時代小説を読んで、刀の描写の不正確さが気になって仕方がなかった。当時、朝日新聞連載中の吉川英治の「宮本武蔵」の中で「一乗寺下がり松の決闘で、武蔵の刃は欠けるはずなのに、刃が欠けたと書いてない。本当の戦いを知っている昔の人は、必ず、刃がノコギリのようになったとか、ささらのようになったとか、弓のように反ったとか描写している。実際の斬り合いを見ていない現代人はスバリスバリと切って刃がなんともならないように考えている。」と言って、吉川英治の家に乗り込んだという。
この決闘では、武蔵は百人近い吉岡一門の相手と死闘している。よく刀がもったものである。吉川英治は、この批判を受入れ、「宮本武蔵」の後半で重要な役割として刀の砥師を登場させている。しかも、砥師の名前が厨子野耕介である。これは岩崎氏が逗子にいたことから、「逗子」を「厨子」とし、「耕介」は「航介」をもじって作った名前である。こうして吉川英治と岩崎氏との親交が始まる。
三大敵討ちの一つである伊賀上野鍵屋の辻の仇討ちでは、講談や歌舞伎では、柳生十兵衛の弟子であった荒木又衛門が36人斬りをする。しかし、事実は、相手が11人で、かつ、こちらは4人なのでこれは、ウソであろうと言われている。しかし、「講釈師、見たことのように嘘をつき」で、古いチャンバラ映画では、本当に36人斬りをやる。
戦後、確か三船敏郎が荒木又衛門の役でこの仇討ちをやる映画を見た記憶がある。まだ、白黒である。このときは、事実に忠実にという監督の考えなのか、荒木又衛門は相手側の重要な人物3人しか斬っていない。しかも、映画によると又衛門は、一人斬るのに大分時間をかけており、彼自身は鎧をつけていた。11人を相手にするのだから、名人の荒木又衛門でも、事実は、大変な覚悟と準備が必要だったのだろう。
36人相手なら、数人くらい斬ってからは、刃がぼろぼろとなり、名人又衛門も返り討ちになっていたかもしれない。
黒澤明の映画「七人の侍」では、主人公が多くの敵を切るシーンがある。あらかじめ、数本の刀を抜刀して土に立てておき、二、三人斬ると、すぐに捨てて、新しい刀に代える。日本刀は、切れ味はいいが消耗品である。チャンバラ映画とは異なり、黒澤監督はおさえる点はきちんとおさえている。
甲野氏によると、日本刀は、よく斬れるために、刃がふっくらとしており、蛤(はまぐり)刃という。家庭の刃物と違う。このため、日本刀を研ぐ砥石は刃物の曲面を研ぐため、砥石も中央が盛り上がった曲面である。大変なコツがいる。
テレビの「子連れ狼」で刀を研ぐシーンがあったが、砥石が家庭にあるような中間が減っているようなものを使っていたという。フィクションとはいえ、ちゃんとしてもらいたいと甲野氏は言う。見る目がある人はちゃんと見ている。
これで連想したのは、例の日中戦争の「百人斬り」問題である。百人も斬ったら刃のメンテナンスは?当時の新聞記者にはメンテナンスについての知識がないようで、チャンバラ映画の悪影響だろうか(このホームページの息抜きコーナーの6.人物「山本七平氏のこと:H14年4月3週号」及び1.一般的な社会問題・文化・習慣の「朝日新聞対NHKと事実報道:H17年3月1週号」の3参照)。この日本刀に対する無知が冤罪の戦犯を出してしまったようだ。
「無知ほど罪深いことはない」(オスカーワイルド)。 |