歌心
(H17年11月2週号)

最近テレビでやっていた山口百恵を育てたプロジューサーの回顧談によると、最初、彼女を歌で売り出そうとしたが、どうも彼女の歌には「歌心」がないと感じたそうだ。要するにきちんと歌うのだが、歌詞の気持ちがこもっていないというのである。
そこで歌の路線をあきらめ、女優路線を選択する。この方法は成功した。というのは、女優を演ずるにしたがい、人の心理が深く分かるようになったのか、歌もうまくなったという。「歌心」がついたのであろう。それからヒット曲がでるようになった。

東京12チャンネルでは、以前、「演歌の花道」という番組があったが、これがなくなり、今、徳光さんコロッケの司会で演歌もよくやる歌番組がある。先頃、テレサテンちあきなおみの特集をやっていた。そのなかで、ちあきなおみの「紅(あか)とんぼ」という歌があった。これは、彼女が一時歌手活動を休止した後の歌で、30万枚のヒット曲だという。しかし、私ははじめて聞いた演歌である。これをフルコーラスでやったが「歌心」の極致であった。ちあきなおみがこれほど「歌心」のある歌手であるとは知らなかった。司会の徳光さんが、「ちあきさん、是非、この番組に出てください」と熱心にテレビ画面でお願いしていたのも分かる気がした。

亡くなった大歌手淡谷のり子は、「演歌は貧乏臭い」と言って歌わなかった。しかし、演歌で成功した歌手は大抵、貧乏し、苦労している。それが「歌心」になるのであろうか。
フランスの演歌と言われるシャンソンでもエディット・ピァフの「愛の賛歌」という歌があるが、これも「歌心」の極致であろう。彼女は波乱に満ちた人生を送った。彼女が、この歌を捧げたのは、不倫の愛人であった。しかし、この歌を聞いてもらう直前に飛行機事故でその愛人を失う。こういう挫折感と「歌心」は、無縁ではないであろう。

宗教学者の山折哲雄氏の話によると、今から20年位前、ある大新聞に若い母親から投書があり、子どもに哀調のある古い子守唄を歌っても嫌がるのだという。ところが、その投書を読んだ若い母親から同じ体験の投書が殺到し、驚いた新聞社は調査したが、原因がわからない。これを気にしたある作家が、いろいろ調べたようで1年後にそれはテレビコマーシャルの音調が子守唄と合わないのではないかという記事を書いた。現代の子供は、いつの間にか、テレビコマーシャルの音調に慣れているからではないかという。
山折哲雄氏は、もう一つの原因は母親にあるのではと言っている。母親に「歌心」がないのではというのである。日本の子守唄は、西洋の子守唄と違い、哀切のある「演歌」調である。「歌心」が問われるのであろう。山折氏は、渥美清がCDに吹き込んだ子守唄を「歌心」があるとほめていた。当時の若い母親には、何らかの挫折感がなかったのであろうか。
山折氏がこの問題を取り上げたのは、20年位前のこの子守唄の現象は、その後多発する少年の残虐な犯罪の前兆であったのではないかという恐れからであろう。
最近では、タリウム問題も報じられている。

「歌心」にも高度成長のゆがみがあるのであろうか。「バカの壁」の養老孟司氏が言うように高度成長時代の都市化が、「歌心」にも反映しているのだろうか。そういえば、最近、身近で「紅(あか)とんぼ」を見たこともない。そんな題名の歌はもう出ないだろう。出てもヒットしないであろう。哀調のある歌は「島歌」くらいか。
他の現代的な歌は、都会の音の大量消費のようである。