| 「文藝春秋」12月号の特集に「消える日本語」というのがある。二十数名の人々が「消える日本語」をあげている。
その中で、永六輔氏が「永住町」をあげている。永住町は、東京浅草永住町から、今は、元浅草三丁目に変わっているという。そういえば、市町村合併で多くの古い由緒ある地名が消滅している。「消える日本語」の一面である。
永六輔氏のこの記事に気になることがあった。それは下記の記事である。
「地名変更でいうなら明治以降の廃藩置県で、日本は大きく変わった。
明治政府の大改革とはいえ、廃藩置県にも奇妙なねじれがある。
例えば県庁所在地と県名。
山梨県甲府、岩手県盛岡、石川県金沢などなど。
山口県山口、鹿児島県鹿児島、秋田県秋田などなど。
この差は何なのだろうか。
県名と県庁所在地の名前が違うのに反対した話も聞いていない。」
故事来歴にくわしいはずの永六輔氏が、こういう基礎的な疑問を持つのにはビックリした。
それは、県名と県庁所在地名が違うのは、歴史的に意味があり明治政府の意図的な政策の反映だからである。
明治政府は、新政府に抵抗した藩(朝敵)に対して、廃藩置県のとき、わざと県名と県庁所在地名を別にしたのである。意地悪の結果である。このことは、司馬遼太郎がどこかで書いている。
だから、県名と県庁所在地名とが違う県は、明治維新のとき、新政府に抵抗した藩があったのだなと、今でも幕末の頃の事情が分かるのである。
すなわち、甲府藩は幕府天領で、ここで新政府軍と幕府軍が衝突。盛岡藩は仙台藩とともに抵抗。山口県と鹿児島県は、ともに明治新政府の中心となった薩摩藩、長州藩があった県である。秋田藩は反政府の多かった東北の中で早くから新政府側についた。
興味あることは、四国は4県あるが、香川県の高松藩、愛媛県の松山藩はとも「朝敵」と言われた藩である。だから、この2つの県だけ、県名と県庁所在地が違う。
それにしても、名著「街道を行く」を書いた司馬遼太郎は、歴史的に由緒ある地名が、今度の市町村合併で、金欲のために簡単に消えていくのを嘆いているではなかろうか。
それとも、奇特な研究家が、この市町村名は、「この地は、古くはこれこれしかじかの地名があり、それが政治的な争いで、現在の市町村名となった。」と説明し、平成10年代の日本のバタバタした政治文化の情勢を描くことになるのであろうか。明治政府の嫌がらせを書いた司馬遼太郎のように。 |