ムダ取りISOのムダ(H12年5月第2週号)
 品質保証に無関係なISO9000の過剰な文書が問題になっているのか、ISOのムダ取りという指導が盛んであるが、これも気をつけないと、ムダをまた、増加させかねない。さらに、ISO9000の無理解から、ムダを取ったが、折角の品質保証体制を中途半端にしてかえってムダなISO9000システムとなることになる。
 最近、ある雑誌の特集で、ISOのムダとりというのがあったが基本的な間違いを指摘しておく。
1. ISO9000は性悪説であるという間違い
 品質記録の記録重視は性悪説からでなく、品質の維持状態、システムの効果を確認するためにあることをISO9000本文で明記している。ISO9004−4の改善のガイドラインでは、日本式の従業員参加を重視して、説明している。2000年改訂では、品質管理8原則の中に、従業員参加がある。但し、日本の現場任せのTQCと異なる。経営者のリーダーシップとセットである。
 問題は、性悪説であるかどうかでなく、性悪説であるという根拠のない思い込みである。ISO9000以前から、「使わないデータは作るな」とあるが、ISO9000を指導して気がつくのは、ISO9000で必要なデータを作っているのに、管理者が誰もチェックして、問題を明確にせず、「記録だから、きちんとファイルすれだけでよいのだ」としまいこんでいることである。しまいこんだ記録を見ると、管理者として、アクションをとらなければならないことを作業者が折角記録しているのに活用して、改善していない。「使えるデータを見ないでしまい込むな。」である。
 トヨタ方式のポカヨケも見方によっては、性悪説である。人はミスをしやすいという発想である。不良品の対策書に「注意します。」「確認します。」「再確認します。」とあるのをよく見るが、これは、再発する。何故なら、人は、注意を忘れがちなのである。確認を忘れやすいのである。この事実から、ポカヨケという発想が出る。品質工学で有名な田口玄一氏は「注意一瞬、怪我一生」でなく「注意一生、怪我一瞬」が正しいとしている。人は注意を継続できないから、怪我をするのである。人は、善行もするし、悪行もする。それが事実である。だから、管理者は、その事実に対応しなくてはならないだけである。
 性悪説だから、文書が多いのではない。日本のデミング賞も重い文書や記録で有名である。イギリスのISO9000に、品質保証体系図や、QC工程表がなく、スリムなのは、デミング賞がなかったからであろう。アメリカMITのレスター教授の著書「競争力」によると、89年にアメリカで最初にデミング賞を受賞したフロリダ電力・電灯会社はその官僚的体質が拡大し、成果といえるものはなかったとしている。1年以内には、同社の品質管理スタッフのほとんどが会社を去ったという。
2. QC工程表は必要がないのにスリムにするという間違い
 ISO9000では、特別に、QC工程表を要求していない。だから、ゼロでよい。必要でないのに、いかにスリムにするかということ自体、ムダである。品質に役に立たない文書を作るのは、品質低下を起こし、ムダなコストを増加させ、顧客に迷惑になる。
3. 検査としないで、品質確認とすれば、記録の必要がないという間違い
 ISO9001を見ると、「4.9 工程管理 d」にある「製品特性の監視」が「品質確認」であり、検査ではない。「4.10 検査・試験」が検査である。検査を勝手に「品質確認」にできない。これは、ISO9001の87年版で最初、「4.10 検査・試験 b」にあったものが消滅した。この経緯を勉強していない。
 自動機から出てくる製品の品質を時々、チェックしているのは、加工状態の管理だから「製品特性の監視」であるが、それがパレットに1ロット積み重なり、そこから、抜き取りで検査して、そのロットの合否を判定しているのは、検査であり、「品質確認だ」と主張できない。それは、ISO9000不勉強を示すだけである。
4. その他の間違い
 設計審査と設計検証の混同によるムダ、10項目に5段階評価をつけた下請負契約者評価表のムダ、文書番号のムダなどがある。ムダ取りがムダ追認になっている。「ムダ取り」という売り文句にひっかからないような注意が必要。それには、本文をよく理解すること。参考書を選ぶことである。4月にイギリスに行ったとき、元IQAの会長に会ったが、彼は、「ISO9000は最低の基準を定めたもので、大袈裟になるのは、運営が悪いからだ。」と言っていた。