品質保証は工程で(H12年5月第2週追加号)
1. 外国視察団の盲点
 4月にイギリスに行ったとき、元IQAの会長と夕食をしたがそのとき、彼は「ISO9000は品質保証の最低の基準を定めたものである。それが過剰になるのは、運用の問題である」と言って、81年に日本の製造業を視察したときの報告書を示した。日本の製品の品質が何故良いのかという視察であった。しかし、その報告書を見ると、製造業の視察なのに、日本現場の製造技術の強さを指摘していない。山根真一氏の「メタルカラーの時代」(小学館)でいうところのメタルカラー(技術者)の強さであり、トヨタ生産方式の生みの親である大野耐一氏の言う製造技術陣の存在である。大野氏は、生産技術と製造技術の違いを明確にしている。
 製造品質の優秀性は、精神論なQCサークルでは不可能で、具体的な技術改善がなければ、不可能である。「ポカヨケ」と言っても具体的には、治具の改造、光電管の使用など、製造技術屋の活動がないと、不可能である。日本が戦後、製造業で飛躍的な品質向上を果したのは、戦後の技術重視の教育が背景にある。小室直樹氏の「日本の敗因」(講談社)の323頁に「戦後の日本経済が、高度成長につぐ高度成長で、見る見るうちにヨーロッパ諸国に追いつき、追い越していった理由の1つは、新制大学卒の技術者が数多く輩出したからであった。日本に比べると、ヨーロッパ諸国では、大学の数も少なく、技術者も少数だった。」という記事がある。
 私の大学卒の初任給は、1万3千円程度であったが、当時の文科系は、それより約1千円低かった。技術重視の時代であった。
2. 現場技術を知らない品質保証部門長
 4月に訪問したイギリスのある計測器メーカー(ISO9001取得)の社長は、書類ばかりを作り、現場に行かない品質保証部長を3回も続けて解雇したと言った。彼はトヨタ方式を導入したのでよくその根底にある考えを理解していたからである。しかし、日本でもISO9000取得で、事務局には、品質保証部門があたるが、びっくりするのは、技術的に音痴が多いことである。クレームの回答書の作文がうまいとか、データの整理がうまいとか、統計的手法をよく知っているからとか、検査が早いとかの能力だけで、品質を生み出す自社の設計技術や工程を知らないことが多い。
 私は、「品質管理は『品質を』管理するのでなく、『品質で』生産活動を管理するのである。だから、生産活動(含む設計)を知らない品質管理屋は、生産活動を管理できないから、真の品質管理はできない。」とよく説明している。
 4月に訪問したある印刷会社は、ISO9000のマニュアルを「品質マニュアル」とせず、「品質管理マニュアル」にしたのは、私と同じ趣旨である。「品質システム」や「品質マニュアル」では、品質は「静的」な意味なので、生産活動全員の問題であるとことが伝わらないためである。
 ある小企業で、品質管理課が誕生して、2年くらい経ったので、コメントを求められたので、訪問した。毎月、その品質管理課から「品質管理月報」が発行されていた。そこには、きちんと品質に関する統計がまとめられていた。その2年くらいの統計を見て、私は、不良率の第1位が同じなので、これは、品質管理不在の統計であるとコメントした。品質管理がうまくいっていれば、不良内容に変化があるはずである。この品質管理課は、統計データをとるコスト増加だけを発生させ、品質向上の成果に貢献していない。厳しい会社なら、リストラされる運命にある。
 私は、出版社のアーバン社から、品質保証部のハンドブックを2冊発行したが、生産管理も含まれたものにした。それは、品質保証課が品質向上に貢献するには、現場を知らないとだめだという発想からである。佐武弘章教授の「トヨタ生産方式の生成・発展・変容」(東洋経済新報社)によるとトヨタ生産方式の原点は、トヨタが苦しかった1950年代に、大卒の技術屋が職人中心の現場に投入され、彼ら技術屋が、後のトヨタ方式を生み出す大きな要因であることを分析している。