「読みやすい文書」?
(H17年3月1週号)

「4.2.3 文書管理」のe)項に「文書が読みやすく、容易に識別可能な状態であることを確実にする」という要求がある。
ISO9001:2000の発行のときから、この「文書が読みやすく」の訳が気になっていた。「小学生でも理解できるように読みやすく」という意味に誤解されないかという不安であった。

ところが、最近、S社のマニュアルの案を見たら、「文書は読みやすく書くこと」とあった。管理責任者に確認したら「平易に書くこと」という意味だという。不安は的中した。

「読みやすく書く」のもとの英語はlegibleである。英和辞典をひくと「(文字や印刷が)読みやすい、判読できる」とある。オックスフォード英英辞典では「(書いたり、印刷したりした言葉が)読むのに十分な程度に明瞭である」とある。
逆の単語が、illegibleである。これは英和辞典でひくと「(文字・印刷が不明瞭・雑で)読みにくい、判読しがたい、解読しがたい」とある。
ついでに「判読する」の和英辞典をひくとdecipherとある。「不明瞭な文字などを判読する」と解説があり、例文で「みみずのはったような筆跡を判読する」がある。

このように英語を引き合いに出すのは、規格の言わんとする原点が英語にあるからである。そして、このように英語を引き合いに出すと「西沢さんは英語を知っているからよい」という人がいる。それは大きな間違いである。
「なんで、会社業務の専門的な文書に『小学生でも理解できるような平易さ』を求めるのか?ISO9001:2000の草案を作る人はそんなビジネスを知らない、いい加減な人たちなのか?」という疑問がスタートである。当然、その部分だけのもとの英語にさかのぼって調べたいという動機になる。

だから、この日本語の文章はしっくりしないという直感が先である。これが重要なのである。すなわち、ビジネス経験からくる直感がベースにあるのである。別に英語の専門である必要はない。ビジネス経験による批判力があれば十分である。
だから、私は、英語に強くない。日本語に強いのである。

ISO9001の初版(1987年版)では、「相当回数の変更が行われた後には、文書を再発行する」という要求があった。要するに修正だらけになると判読しにくいというわけである。IT時代は、そんなことはなくなった。

かって、大学の研究所にいたとき、ほとんどビジネス経験のない先輩が生産管理の本を訳してテキストに使っていた。その日本語を読むと常識的におかしい点が百箇所ほど出てきた。「この有名な外国の著者がそんなおかしなことを書くはずがない。」と思い、もとの原書のその百箇所の部分だけ、英語の辞書をひきひき読んだら、全部、誤訳であった。

Legibleについては、私は、ISO9001:2000の最初から、品質マニュアルでは、この部分は「判読可能なこと」として、企業の人の誤解のないように「読みやすく」の表現は、避けている。

これは余談であるが、2000年にMITのレスター教授の「競争力」という和訳本を読んだ。
ところが、品質管理の歴史にデミングという名前が出てこない。当時来日したこともある有名なレスター教授が、デミングにふれないはずはない。
原書を取り寄せた。本の付録の索引を見たらデミングがある。本文を見たら206頁目に9行にわたって、訳してない部分があった。ここに、日本のTQCで有名なジュランも登場する。さすがはレスター教授である。
これも和訳が何かおかしいという直感で、三百数十頁の原書から探し出したものである。

そして、訳者はジュランとデミングに恨みがあるのか、この9行を訳していない。とばしている。ここにとばした9行をレスター教授の名誉のために私なりに訳しておく。

「ジョセフ・ジュランは、第2次大戦後、晩年のデミングとともに、品質管理を日本に導入したと考えられているが、彼は、アメリカのCEOたちを鋭く批判してきた。それは、ジュランが権限委譲できないと考えている品質についての行動計画を、CEOたちは中間管理職にまかせていることに対してである。『彼らは、正しい演説をし、大きなゴールを設定するが、他のすべてを部下に任す――。彼らは品質を確立することは、下に権限委譲できない会社全体を確立することであることがわかっていない。』とジュランは言う。ジュランのこの批判は、疑いなく、的確である。」