1.「超ISO」の背景
最近、「超ISO」ということがISO9001関係者の間で言われだしている。
日本ではISO9001が盛んになってから10年を越え、取得数が4万を超えている。しかし、ISO/TC176の日本代表の飯塚氏は、9割はただ認証を取っただけだといっている。審査員で個人コンサルタントでもある山田宜人氏は、ISO9001を活用して効果を出している企業は全体の2から3%にすぎないという。
要するに、ISO9001の取得では品質向上に効果がないどころか、ムダな手間が増えたり、モラル低下を起こしたりする(このホームページの「審査/コンサル」コーナー4.の
「ホームページ読者からの感想(1):H17年4月2週号」及び「品質、環境に関する社会問題」コーナーの
「三菱ふそうのリコール問題とISO9001:2000:H16年6月2週号」参照)。
そこで、折角とったISO9001を生かし、これを「超えたISO」にして、企業業績を向上につなげようという趣旨で「超ISO」というキャンペーンとなったようだ。
「超ISO」の現象は、このように、
ISO9001推進者でも、「ISO9001取得は、企業業績に貢献する」という宣伝を認めることが、もはやできなくなった事態を示している。
2.イギリスでの問題
ISO9001取得数が日本より数年早く数万を突破しているイギリスは、政府主導のためか、この事実をいさぎよく認めず、問題は審査機関にあるとして未だに積極的な対応策がとれていないようだ(このホームページの基礎知識コーナーの「ISO本部発行『マネジメントシステム誌・03年1、2月号』コメント:H15年4月2週号」の「2.Q2002 世界会議の報告」参照)。
この裸の王様を指摘したのが、1997年にイギリスのコンサルタントのセドン氏が書いた「品質を追及して:こんなISO900はいらない」(和訳なし)で、2000年に改訂版が出された(和訳「こんなISO9000はいらない」近代文芸社発売)。
この本は、すでにイギリスでは、品質向上に効果がないどころか、ムダな手間が増えたり、審査員との不毛の議論でモラル低下を起こしたりするという現象が多発していることを具体的に示しており、国際的に共通な現象が起きていることがわかる。
この本で明らかになったISO9001先進国イギリスの問題は、その後、ISO9001後進国日本ですべておきている。
3・ISO9001擁護派の考えとセドン氏の批判
この本でセドン氏は、イギリスのISO9001擁護派の擁護の根拠について、次の5つをあげた。それに対するセドン氏の批判の趣旨を対照させて下の表にまとめた。
No. |
ISO9001擁護派の擁護発言 |
セドン氏コメント |
1 |
規格に問題があるのでなく、使い方が悪い。 |
どういう使い方がよく、どういう使い方が悪いのか、明確にすべきである。そして公式のガイドを示すべきであるが、していない。 |
2 |
マネジメントの基礎を築くものであり、TQMなどにつながる。 |
基礎が問題を起こしているのでは、上に立てる建物は良いものができるはずがない。 |
3 |
市場からの強制であるからやむを得ない。 |
強制をやめるべきである。しかし、多くの人が職を失うので抵抗は多い。 |
4 |
世界的な拡大は、それが良いものであることを証明している。 |
強制で拡大している。トヨタ生産方式のように改善効果実績による拡大でない。 |
5 |
ISO9001が業績貢献に限界はあるのは認めるが、規格は改善されつつある。 |
改善の前に、何故、貢献しない企業があるのか、その失敗原因(真因)の分析がない。したがって、真の改善策とならない。 |
4.「超ISO」のISO9001擁護の理屈とコメント
(1)No.1とNo.5の合体の立場
「超ISO」は、ISO9001が企業業績に貢献していない点を認めているので、上の表のNo.5のパターンと似ている。しかし、異なっているのは、「超ISO」では、「もともと ISO9001は企業業績貢献用でなく、品質保証用として限定された目的のもので、品質向上を期待するのは過大である」と「開き直っている」点である。したがって、2000年版の顧客満足向上、継続的改善、プロセスアプローチを積極的に審査に使うことには否定的であり、「ISO9001要求を積極的に品質向上、企業業績改善に使うのは、規格の解釈を間違えやすく、間違った適用をしやすい」という理屈になる。この点で、上の表のNo.1とNo.5の合体の立場と言えるので、これに対するコメントも、上の表でセドン氏が指摘した「想定内」である。
「基礎となる」ISO9001が何故、問題が多いのか。上に立てる家はいくら立派でも、基礎工事が問題では崩壊するではないか。もし、企業側の使い方が悪いなら、何故、使い方が問題になるのかという、No.3に対するセドン氏の問いが、また待っている。
(2)ISO9001取得の本来の意味は品質向上による顧客満足?
ISO9001が単なる購入者が求める認証用だから、企業の業績貢献を目的としていないという理屈なら、「品質向上、業績向上に貢献しないISO9001を何故、顧客は要求するのか。」という大きな疑問が発生する。
購入者はムダな負担を供給者に与えることを望まないはずだ。むしろ、ISO9001取得を強制することで、かえって品質低下、形式化、モラル低下、コストの上昇を招く恐れがある。三菱ふそう問題のようにISO9001を認証していても「顧客である購入者にとっても好ましくない」事態が発生するのでは、認証の意味がないことになる(このホームページの「品質・環境問題に関する社会問題」コーナーの「三菱ふそうのリコール問題とISO9001:2000:H16年6月2週号」参照)。
(3)品質向上の基礎になるか?
もし、企業が、真剣に品質向上を求めて、例えば、世界的に拡大しているトヨタ生産方式を導入するとすれば、取得したISO9001を根本的に見直すことになる。
セドン氏が指摘するようにISO9001をトヨタ生産方式やデミング方式(システム思考)の導入の基礎とするには、最初からトヨタ生産方式やデミング方式の導入を想定したパラダイムによるスリムなISO9001でないと、基礎にならない(このホームページの「基礎知識」コーナーの「2つの違った品質保証のパラダイム(paradigm):H15年3月1週号」及び「『ザ・トヨタウエイ』とISO9001:2000:H16年10月2週号」参照)。
セドン氏が「こんなISO9000はいらない」初版を出してから、そろそろ10年になる。この世界的な実験結果は「真因除去」をしないで、形だけつじつま合わせの継ぎはぎで先送りしている状態が、まだ、進んでいるようだ。ソ連の社会主義の約70年にわたる実験と同様の末路をたどらないように願いたい。